核抑止が「新たな戦争の火種」になる皮肉。各国の“不信”と“軍拡競争”が「核兵器なき世界」を遠ざける恐ろしい現実

 

■「仄めかしの力学」に終止符を打てるか否かという問い

そして、松井市長の平和宣言に続き、広島市内の小学校6年生の中から選ばれた子ども代表2名による「平和への誓い」は、「被爆体験を直接聴くことができる最後の世代として、あの記憶を事実として受け止める使命がある」と語り、「一人ひとりの小さな行動が平和への後押しになる」という、飾らない、しかし力強いメッセージを届けてくれました。

大人たちがどれだけ複雑な安全保障論を交わしても、最後にこの子どもたちの言葉に立ち返らざるを得ないというのは、皮肉であり、同時に救いでもあると感じています。

個人的な話になってしまいますが、私が国連での仕事を志し、世界平和のために身を捧げたいと決意を固めた際、「一人でも多くの子どもたちが笑顔で暮らすことができる世界を実現する」と誓ったことを、私の長男と同級生(小学校6年生)のお二人のメッセージを聞きながら思い出し、また決意を新たにしました。

「核兵器なき世界の実現」を目指すにあたり、その背景にある国際情勢は、決して楽観できるものではありません。今年4月末から5月まで開催されたNPT(核兵器不拡散条約)」の再検討会議は、3度続けて成果文書を採択できず、これまで15年間も実質的な合意を得られていない現実を、私たちは深刻に捉えないといけません。

ロシアがウクライナとその支援国に対して核使用をちらつかせる一方、NATOを介したアメリカの核の傘の信頼性が揺らぐ中で、フランスやイギリスが独自の核戦力を近代化し、その拡充に動いています。

中東では、イランの核開発への懸念と、公然の事実であるイスラエルの核保有への沈黙という、アメリカの二重基準(ダブルスタンダード)が浮き彫りになり、サウジアラビアをはじめとする湾岸諸国が核保有への扉に手をかけかねない状況が生まれています。

日本は唯一の被爆国でありながら、北朝鮮、中国、ロシアという核保有国に囲まれるという特異な地政学的立場に置かれ、「核兵器なき世界の実現」を主導すると宣言しつつも、目下の国家安全保障を優先せざるを得ず、非常に残念ですが、核兵器禁止条約への参加はおろか、オブザーバー参加すら見合わせたままです。

国内では、年末に予定される安保関連3文書の改定を巡り、非核三原則の見直しや「核共有の是非を議論する」という言葉まで取り沙汰されており、被爆地を中心に懸念の声が広がっています。

81年前の“あの日”を知る人が少なくなっていく中で、「核兵器なき世界の実現」という理想は、むしろ遠ざかっているように見えます。それでも式典に123の国と地域が集まったという事実は、その理想の実現がまだ完全には諦められてはいないという、かすかな希望でもあるのだと、私は受け止め、その実現のために邁進する思いを改めて強めています。

私自身、これまで様々な紛争の現場で「核」という言葉が交渉のテーブルに乗る瞬間を何度も見てきました。

核兵器というのは不思議な存在で、実際に使われることはほとんどないのに、その存在を仄めかすだけで、交渉の力学を一変させてしまいます。ホルムズ海峡での駆け引きも、太平洋での島嶼国の動揺も、根っこの部分では、この「仄めかしの力学」に振り回されているという点で共通しています。

広島そして長崎が発しているメッセージは、単なる過去への追悼ではなく、この「仄めかしの力学」そのものに終止符を打てるかどうかという、極めて現在進行形、そして未来を見据えた問いなのだと、私は考えています。

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