「神妙な態度」が良いわけではない?
先日取り上げた「叱られ方」をまず先に復習しておきましょう。
叱られているときに謝るタイミングがあるなら、何度でも「申し訳ありません」「すみません」「反省します」「うっかりしてました」と繰り返すのがコツでした。
「これで同じミスが3回目じゃないか。この書類は基本中の基本だぞ。もう一回しっかり確認しておきなさい。もう同じミスをしないように気をつけて」
この上司の台詞を最初から最後まで黙って聞くのと、「。」のところで「申し訳ありません」「はい、すみません」「気をつけます」と相づちを打ちながら聞くのとでは、上司の反応は大違い。
もちろん気持ちの入っていない台詞を連発するのはNG。本気の言葉を丁寧に発しましょう。
「叱られ方」をしくじると、目をかけてもらえなくなったり、丁寧に指導してもらえなくなったりしして成長に大いに関わってきます。
ポイントは次のとおり。
- 相手の目を見ながら
- 「言うとおりに改善する」という気持ちをもって
- 「反論」ではなく「謝罪」の相づちを何度も打つ
このどこかが欠けると、火に油を注いだり、査定に響いたりします。
「うつむいておとなしく聞いている」とはちょっと違いますよね。一般に「黙って聞く」のが神妙な態度とされていますが、そのような神妙な態度が適切なわけではありません。
たしかに基本は「黙って聞く」のですが、大事なのは内面。
神妙な態度を取りつつも内面では反発して、「そうじゃないのに、ちっともわかってない」「早くこの時間が終わらないかな」などと思っているようでは、長い目で見ると損です。
「わかってくれない」ならまだマシで、「わかってない」になったら、もうお手上げ状態です。目をかけてもらえなくなり、指導を受ける機会はやがてなくなり、理不尽な扱いが──理不尽ではなく当たり前の結果として──待っています。
もちろん言い分はあるでしょう。しかし、この「言い分はある」という思いこそ、火に油を注ぐ最大の原因ですから、この機会に見直してみましょう。
質問や相談、感謝は相手の軟化後に
3ポイントを個々に掘り下げていきます。
- 相手の目を見ながら
- 「言うとおりに改善する」という気持ちをもって
- 「反論」ではなく「謝罪」の相づちを何度も打つ
ふだんは相手の目を見て話すように心がけている人も、「叱られている」と感じた途端、目を見なくなるケースがあります。
むしろ逆にしましょう。
叱られているときほど、しっかり目を見て話を聞くのです。
そのときは、「そのとおりに行動を改善する」意識を強く持って、「何を言われているか」を理解しようと努めます。
最も良くないのが「自分なりの考えがあって、最善を尽くしたのに」という自己正当化の気持ちを持ちながら聞く態度です。
「自分なりの考え」を改善するチャンスが、叱られたときなのですから。
相づちは、「申し訳ありません」「すみません」「反省します」「うっかりしてました」「気をつけます」など、謝罪に終始します。
「あ、でも、お言葉を返すようですが」のような反論や言い訳はしません。
質問されたのに「言い訳になるので言いません」は論外ですが、「失敗の正当化」になるような言葉を自ら口にするのは厳に慎みます。
この態度が徹底できていれば、やがて上司の態度も軟化してきます。
少しは笑顔が出たり、「気持ちはわかる」「難しいのは確かだ」「努力は感じられる」と理解を示す言葉やねぎらいの言葉が混じるようになってきたら、次のステップに進んでいい。
質問への答えと謝罪以外の言葉を発するのは、ここからです。
叱責と指導への感謝を口にしていいのも、ここから先です。相手が強い言葉で叱っているときに「叱ってくださってありがとうございます!」なんて感謝しても、「ありがとうじゃなくて反省しろ」とまた火をつけてしまいます。
「反論はダメでしょうけれど、叱ってくれてありがとうございますならいいですか?」とたまに聞かれますが、タイミングが大事、ということです。
「叱ってくれてありがたい」「こうして指導してくれるおかげで明日からの仕事がもっと良くなる」という感謝は、常にベースにあってしかるべきものです。
でも、言葉にして相手に伝えるには順序があります。まず謝罪、あとで感謝です。