正直言うと「怖くてダサい」イメージのヤンキー文化としてのヒップホップ
日本語のラップ/ヒップホップって、遠目に見てると「腕組んでるラーメン屋」と似たようなカテゴリだと思ってたところがある。
最近は「ロキノン」的なものが死んじゃったから、対比するものが減っちゃったけど…00年代に話題になったヒップホップ系のアーティストはなんか意識高いんですよ。
友達とか、家族とか、ありがとうとか直に歌っちゃって、それがもう…寒イボ。
それも、比喩に包まず、イカツイ男が同じような「the・ラッパー」って格好して歌うのをみて「マッチョっすね」「ナルシっぽいっすね」という印象を受ける。
ただ、これはものすごく不敬なことでもある。
ブログの世界で置き換えれば、「はあちゅう、イケダハヤト、やまもといちろうぐらいしかブロガー知らないけど、どれもこれも胡散臭いからいいイメージない」と言ってるようなもんなわけだ…。
アレは出版社やテレビ局が好きなブロガーがこゲスで手ぬるい奴ばっかなだけで、何万人いるブロガーの中でも変わった種類の人。
はっきり言わせろ?
テレビ局も、出版社も(最近の、「ライターの個人的な人気の上であぐらをかこうとしてるWebメディアの編集」も含めて)、自分達でモノ作れないから人に頼ってるクソ野郎が選んだものなんか本家本流を勝ち抜いた人間よりも面白いわけないじゃん。
ブロガーもラッパーもそれぞれ、ネタ好きな人が練りに練りこんできた文化なんだから本家本流の人間は「放送できない」だけで、面白くないって事は断じてないのよ。
フリースタイルダンジョンという番組の良さは、「テレビ局が好きなラッパーのイメージの押し付け」をかなり削って、ライブ感や生なラッパーを映そうとしてるところ。
だから、荒削りでテレビ映えしないラッパーが出てきたり、ラッパー同士(界隈)の内輪ネタがガッツリ出てくるけど…その辺の雑味がいい。
高度なものだと双方なキャラが立つけど、うまいやつ同士・尊敬しあってる同士がやらないとテクニカルな口喧嘩/早口になっちゃうそのアバウトさが好きなんです。