日台友好の象徴に横槍。日本人の寄附で再建された台湾の神社に批判

 

もともと蔡正元という人物は思考回路と発言に問題がある人物ではありました。以前もフェイスブックで「日本人が領台時代に台湾の樟脳をすべて奪った」と発言し、ネットユーザーから猛反発を受けたことがありました。

これは、日本が領台時代に樟脳を得るために台湾のクスノキを伐採しまくったという主旨の発言でしたが、史実はまったく逆です。ネットユーザーから、「日本は樟脳の専売制度を実施し、乱伐はせず森林の保護や造林を進めた。日本の台湾での伐採事業は、台湾の近代化林業の基礎となった」「国民党のほうがよっぽどクスノキを伐採した」などと正しい史実を突きつけられる始末でした。

日本人が台湾の樟脳をすべて奪った…台湾国民党の議員の投稿にネット民が一斉反発―台湾紙

では、問題となっている神社は、どのような場所なのでしょうか。その点については、蔡正元氏が言う通り、かつて明治政府が軍を送り込んだ「台湾出兵」があった所です。

台湾出兵

この「台湾出兵」について少し詳しく見ていきましょう。

1871年、台湾南部の先住民が、漂着した琉球人を殺害した事件がありました。これを捜査するため、明治政府が軍を台湾に派遣したのが台湾出兵」です。琉球人の殺害事件を含めると「牡丹社事件」または「台湾事件」などと呼ばれ日本でもよく知られています。

この事件の被害者となった琉球人たちは、琉球王朝の首里王府に年貢を収めて帰途に着いた宮古島の船の乗員でした。この船が台風のため漂着した場所が悪かった。そこは台湾の八瑶湾といって、牡丹社の先住民と漢人とが土地争いをしていた場所でした。

そこへ漢人に似た顔の宮古島の住民が漂着したために、先住民たちは漢人が襲来してきたと誤解して殺戮をしてしまったというのが事の顛末です。

漢人と台湾先住民との土地争いについては、台湾出兵に従軍した樺山資紀の『樺山資紀日記』にも記述があります。樺山資紀は、海軍大将になる前は陸軍に所属していました。そして、日清戦争前に台湾の土地調査を行ったことがあり、その詳細が『樺山資紀日記』に記述されています。

牡丹社での土地をめぐって、漢人の集落が募金で集めた金を持って樺山に台湾先住民の征伐を依頼してきたこともありました。牡丹社の台湾先住民たちは、それほど強敵だったということでしょう。

アメリカの黒船も、日本の下田に現れる前に台湾南部に上陸しようとしましたが、先住民に撃退されて上陸できなかったといわれるほどです。そして前述したように、琉球人たちは漢人と間違われて殺されてしまったわけです。そして日本側は台湾に出兵したというわけです。

もっともこのとき、日本側と台湾側での小競り合いはありましたが、戦闘による死傷者よりも、マラリアなどの風土病での死者が多かったというのが事実です。

また、その後の日本領台時代、日本軍と先住民の戦闘はほとんどなかったという一面もあります。台湾先住民といえば「霧社事件」ばかりがクローズアップされて、野蛮で凶暴な人種だというイメージが定着していますが、それは戦後台湾を統治した国民党によるイメージの捏造です。

事件の真相を全く無視して、結果だけを大げさにアピールしながら先住民を「野蛮人」「抗日の英雄」などと勝手なイメージを押し付けたのです。日本領台時代の先住民は、日本軍と平和の条件を文書で交わし戦闘を避けた集落もあったのです。先住民が抗日の英雄などとは全くの歴史の捏造です。

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