私が子どものときに住んでいたアラバマは、キング牧師の故郷ジョージアの隣に位置し、黒人と白人は全く別の地域で生活をしていました。曾野綾子流にいえば「差別」ではなく「区別」ってことなのでしょうか。
時代はちょうどテレビドラマ「ルーツ」が放映されていた1970年代後半。
民主党のカーター(元州知事)が、現職の副大統領だった共和党のフォードと対決し、事前の認知度や支持率が低かったにも関わらず、ディベート後に支持率を大逆転させて、カーターが勝利。
これがきっかけで、大統領選の「ディベート」の重要性が高まったとされています。
住んでいたハンツビルの日本人は、うちの家族オンリー。
お金持ちの友人の家には黒人のメイドが何人もいて、通っていたエレメンタリースクールは99.9%が白人。残りの0.1%が「私」です。
よほど初めて見る黒い髪の少女が珍しかったのか、休み時間ごとに私の周りにはたくさんの人だかりができ、動物園の「パンダ」状態でした。
しかしながら私は自分の名前をローマ字で書くのがやっとで、一言も英語が話せません。
それでもひっきりなしに、皆が一斉に話しかけてくるので、ひたすらニコニコしていました。
何を言われても、ニコニコ。とにかくニコニコしていたのです。
するとニコニコ効果なのでしょうか。転校した日にジェニーという友だちができ、1週間目にはダイアンの家に寝袋を持って泊まりに行き、1カ月後にはキャンプに参加し、0.1%と99.9%を隔てる壁は、肌の色以外なくなりました。
おまけに私は、その年の“スマイルチャンピオン”になり、学校で表彰され、ハンツビルタイムズという地元紙の一面を飾りました!
数年経ってから気がついたのですが、スマイルチャンピオンはあとにも先にも「私」だけ。
つまり、私のために学校(担任の先生)が作ってくれたサプライズだったのです。