働くは「端(はた)楽(らく)」。この日本語に込められた深い意味

 

働くのは「端(はた)を楽(らく)」にするため

このジャパン・スタンダードも、日本列島に自然に生まれたものではなく、多くの人々の意識的な努力によって育てられてきたものである。たとえば、弊誌で今まで紹介した細井平洲、上杉鷹山、恩田杢、中江藤樹、山田方谷などの学問や行動、また数百年も続いてきた多くの長寿企業の実践を通じて形成されてきた

その中でも大きな足跡を残したのは、二宮尊徳であろう。尊徳は各地で疲弊した農村の立て直しを指導した。その数は600カ所にも及んだと言われている。尊徳の手法は非常に合理的で、武士の減俸をして支出を抑制し、減税によって農民の労働意欲を高め、新田開発を奨励し、販売戦略や生産性向上の指導まで行った。

同時に農民たちに「勤勉」と「貯蓄」を説き、お金が貯まったら、困っている人たちのために貸してあげなさい、と教えた。この積立貯金を「報徳金」と呼び、村々は「報徳会」を作って、自分の村が豊かになったら、次の村に貸してやるようになった。尊徳は働くのは自分のためでなく、「(はた)を楽(らく)」にするためだとまで説いた。

ヨーロッパでもカルビン派が勤勉と倹約こそ神の道だとして、彼らが資本主義を作ったという説があるが、それでも労働は自分が天国に行くための個人的行為である。働くのは世のため人のため、という尊徳のレベルまでは至っていない。

「企業は社会の公器である」

二宮尊徳の思想は、今も日本人の勤労観の根底に流れている。日本の企業経営者には「企業は社会の公器である」という考え方が根強い。グローバル・スタンダードでは、企業は株主の個人的な財産であるから、自由に売り買いできるものである。儲からなくなったら、売り飛ばしても良いし、会社を畳むのも自由である。それによって地域社会が廃れようが、従業員家族が路頭に迷おうが、資本家の知ったことではない

しかし、日本の健全な企業経営者は「事業を通じて世の中の役に立つ」「地域社会に貢献する」「顧客の信頼をうる」「従業員の生活を守る」といったことを使命だと考える。自分個人の利益を追求するのは恥ずかしい事で世のため人のために尽くすことが立派だと考えるのが、ごく普通の日本人である。

こういう考え方は欧米の優れた企業にも見られるが、ごく普通の一般大衆までこれを当然のように信じて、真面目に日々の仕事にいそしんでいる、という点において、日本は世界でも冠たるレベルにある、と言える。そして多くの国民が、こういう気持ちで日々の仕事に勤しむような社会が、経済的に発展しないはずはない。国土も狭く、資源も乏しい日本が、イギリス、フランス、イタリアを合わせたほどの経済規模を誇り、長寿世界一の生活ができるのも、「正直信頼助け合いのジャパン・スタンダードがあるからこそである。

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