兄の失敗で危機。はちみつ黒酢の企業はどうやって立ち直ったのか

 

「タマノイ酢」の話に戻りますが、同社が窮地に陥ったのは現経営者播野勤氏の実兄が投機に失敗したことが大きな原因でした。播野勤氏は思わぬ経緯で社長になったのですが、ある時、役員会で部下でとある営業部長に「営業の状況はどうですか」と尋ねたところ、そこで返ってきたのは組織の硬直化と人材配置の錯誤を象徴する「社長は営業のことには、口を出さないでいただきたい」というものでした。この時点でいかに組織が歪んだ状況にあったのかが分かります。組織が機能不全を起こすと官僚制的発想とセクショナリズムが頭をもたげてくるのです。

これは組織自体の問題であり、一部長の品格の問題ではありません。そうなったのは、経営者の経営(マネジメント)が失敗したからです。ここに至れば、行わなければならないのは「大ナタ」をふるう「破壊的創造活動」で、そのことなくして解決の法はなく、またそれを行う絶好の機会です。

破壊的創造革新に必要なのは勇気誠実さ真摯さ)」です。まず播野さんは、「人(顧客・従業員を含め)の欲求・現実・価値感」を知るために「百聞は一見にしかず」で、1年間をかけて全国の得意先、自社の営業所、工場を訪問して巡り数千人以上の人に会ったそうです。「素直」に現実を見れば「問題点」「課題」が少しずつ浮き彫りになります。そして「勇気」を持って尋ねれば、そこから「対応策方向性」の糸口も自ずから浮き上がってきます。

日産のカルロス・ゴーンさんも再建を委ねられた時、予断を持たずに「現場を1年間巡って現場と対話して、そこでの観察と情報に基づいて「日産リバイバルプラン」の戦略構想を練りあげたそうです。そのうえで基本構想のもとに、社内の部署の垣根を超えた「クロスファンクショナルチーム」を発足させて再建計画を作成しました。

重視しなければならないのは、松下幸之助さんの言う「血の小便が出るほど、とにかく考えてみることである。工夫してみることである。そして、やってみることである。失敗すればやり直せばいい」という考え方です。「タマノイ酢」の経営者である播野さんも、悩み抜き考え抜いて実際に胃に穴があいたそうです。

GEの元経営者のジャック・ウェルチは改革の成功者ですが、その成功の法則をシンプルにまとめています。

  • 変化の一つ一つに明確な目的と目標を持たせること
  • 変化に必要性を感じ、一緒にやって行こうとする人材だけを登用すること
  • たとえ業績はよくとも抵抗する者は、排除すること。

熟考の末に行なわれた改革目的・目標は、大きく二つに集約されます。一つは、硬直化した官僚的なセクショナリズム(縄張り意識を破壊して部門を超えてコミュニケーションし協力し合える文化の構築、もう一つは、年齢、職制にかかわらず自由に「知識(知恵)」が発想され交換でき創造でき実行できる活性化した組織の構築です。

播野さんが決行したのは定期的で頻繁な全部門にまたがる人事異動で、それは営業、製造、管理という専門分野にこだわらない大胆なものでした。特筆すべきものとして、いがみ合っていた大阪・東京間の人事異動で、その成員の半数を一気に移動・交替させます。するとそれまでの敵同士が相手の立場を理解しあえるようになり、そこから同志に変わっていきました。

14年で9回も部署の移動を経験した女性社員は、最初は戸惑ったが最終的には自分たちの仕事の目的を「会社として『目指すもの』『頑張ること』は『共通』のものと考えるようになりました」と述べています。これは、頻繁な異動で混乱するなかお互いが補い合うことから意思疎通が生れ、大切なのは部署ではなく会社であることを知った社員集団が生まれたことにより成し得たものと言えるでしょう。

また「ヒット商品開発業務改革」をしなやかに実現するには、柔軟頭での新たな視点による発想が必要です。タマノイ酢が取ったユニークな施策は、「入社間もない新入社員が経営上の問題点を発表できる報告会を催して、経営者をはじめとする幹部がそれを聞き参考にする」というもので、これを社長は「解決策を求めるものではなく、自由に発言できる環境をつくることだとしています。

同社の「ヒット商品」である「はちみつ黒酢ダイエット」は入社2年目の新入社員の提案から生まれています。また、工場の「勤務体制の改革」は異動で転勤してきた社員の「常識にとらわれない柔軟な発想」から生まれています。

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