織田信長の改革を「経営のイノベーション」として見ると?

 

織田信長のイノベーション(革新)

織田信長は戦国時代最大の革新者です。数え上げればキリがないほど革新を行っています。その革新はマネジメント(経営)から見ての模範であり多岐にわたっています。

この中で華々しい出来事が印象的ですが、そうでないけれども経営から見て最も大切なイノベーションがあります。1つは、コンセプトの導入です。もう1つは、組織改革です。

「天下布武」はコンセプトです。天下を布武することで統一するという宣言です。同時代では武田信玄の「風林火山」や徳川家康の「厭離穢土欣求浄土」が有名ですが、「天下統一」という目標を明確にし自身と配下の武将の心を1つにしたのは織田信長の独創です。

イノベーションとは前例がないことを行うことです。基盤となる態度は「あらねばならないのは何か」という素直な視点です。信長はこの視点で「組織のイノベーション」も行っています。

戦国時代の武将は徳川時代のような藩主ではありません。その地位は、その地域の武士の盟主と解釈してよいものです。信長の行ったのは旗下の武将をその所有する土地から切り離し俸禄を与えて常備軍として城下に集めました。いざ合戦となった時機動的に活動できるからです。それと主従としての命令関係を明確にするためだったと思われます。

目に見えるイノベーションでは、

  • 鉄鋼船の建造:毛利(水上)水軍の合戦に勝利をえるため九鬼義隆に命じて建造しました。
  • 安土城の建立:戦国時代の城郭は、防御を目的としたものであったものを権威誇示のシンボル(広告塔)として活用したことです。
  • 鉄砲の大規模な導入:「長篠の戦い」での「鉄砲三段打ち」が有名な独創的な戦法と言われていますがはなはだ疑わしいようです。しかし、鉄砲の大規模導入は武器革命です。

織田信長のイノベーションは戦国時代の終焉を早めることになりました。その後、成功した革新は豊臣秀吉、徳川家康に受け継がれて行きました。

信長が示したような「コンセプト」や「組織」など多面にわたる改革は現代の「マネジメント」が行わなければならない先駆です。イノベーションは、今を切り開く最も大切な機能です。

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