さて、三つ目が
- 必ず言葉にすること
です。特に
- イヤなこと
- 出来ないこと
- 断りたいこと
- 傷ついたこと
です。などネガティブな情報ほど言葉にする必要が高いのに実際には言葉に出来ないですよね。
これが日本人には一番苦手かもしれません。KYとか忖度とか、要は言わなくても相手の気持ちや考えを理解できることが美徳とされているから出て来た言葉ですから。
でも、コレ絶対違うと思うんですよ。察するというコミュニケーション方法がデフォルトになるとしましょう。そうすると、なんらか理解や誤解があった時に責任を取る(というか責められる)のは、誰になるんでしょうか。そう
- 察しなかった方
ですよね?
これ、オカシイですよね。すっっごく。相手の目線やしぐさが以前と同じでも、以前とは違う気持ちや考えのことってあり得ますよね。それをその場に応じて正確に察することを要求するのって
- 甘えすぎ(´3`)♪
だと思うんですよ。
翻って、理解して欲しい側が自分の考えやキブンを直接言葉にするのって、
- はるかにカンタンで正確
ですよね。だって、考えたり感じたりしている側が自分で言葉にするんだから。しかも、ハッキリ言葉にしているのに伝わらないなら、それは言葉足らずにせよ理解力不足にせよ、双方で協力しあって理解が進むわけです。なにせ伝わらないという問題の所在が明かですからね。
お互いにわかり合えないことを前提として必ず言葉にしようと考えるのか、お互いにわかり合えることを前提として、察し合おうと考えるのか。
これはコミュニケーションにおける哲学というか理想像の違いに過ぎないのかもしれません。が、カンタンなのは
- 言葉にする
方ですよ。経験上は。なので、この方法をオススメします。