血の繋がりのあるなしに関わらず、人と一緒に暮らすというのは大なり小なりストレスを感じるものです。今回の無料メルマガ『システマティックな「ま、いっか」家事術』では著者の真井花さんが、自身の経験をもとに、共同生活を辛いものにしないために定めるべき「鉄板ルール」を紹介しています。
イッショに暮らす
さて、本日は一緒に暮らす者同士のルールのお話。
新しい年が始まりましたね~。
って、我が家では元旦の朝から義母がつまらないことでスネて部屋に籠城し、お雑煮を食べずじまい(><。夕方ごろのそのそ出て来て、気まずそうな感じ。はああ。
ま、我が家のコトの顛末がどうなったかはさておき。
みなさんも家族と暮らしてきたか、あるいは今現在も家族と暮らしているわけですよね。ひょっとするとこれから新しい家族を作ろうとしている方もいるかもしれませんね。
で、その中で
- いろいろなストレス
を日々感じて疲れてしまうわけです。私は子供の頃から、血の繋がらない人たちとの雑多な生活を過ごしてきましたが、そのせいか共同生活には他の人より慣れているように思います。
それを振り返って感じるのは、共同生活には
- 鉄板ルールがある
んです…ようです。言ってみれば、義母のようなタイプは、この鉄板ルールを知らないか、知っていても守るのがヘタなんでしょうね~。
で、私が気がついた鉄板ルールを新年初めに書いてみようと思うんです。
まず、ひとつめ。お互いに
- 踏み込み過ぎないこと
です。家族なので、一緒に暮らしているはずだと思うんですが、そうだとしても
- 物理的に
- 社会的に
- 心理的に
踏み込みすぎないことです。人間、どんなときでも自分独りだけのプライバシーは確保したいんですよ。
特に「物理的に」というのは、大事です。たとえば相手の部屋に無断で入らないとかクローゼットを勝手に開けないとか。相手が子供だとしてもヒミツ(のつもりでいる)の引き出しの中の箱は開けないとか。そういうことです。
そして、どこからが「踏み込みすぎ」なのかは微妙なんですが
- 相手が不快に感じるライン
が境界線なんです。それは人によって違うんですよ。相手を見て慎重に探るんです。
ちなみに、以前メルマガで書いた「見ざる言わざる聞かざる」の三猿は、この踏み込み過ぎないということの具体的で初歩的なスキルです。
これは、言ってみれば「ヒミツの領域」をキープすることです。すごく冷たい言い方をすれば
- 全部は解り合えない
ということを了解しておくということです。ま、ホントにそうなんだから、冷たくないか(^Д^)。
全部解ろう、それでこそ家族だ!みたいに気負っちゃダメですよ。そんなのロマンチックすぎる幻想だから。
ある程度解ればいいじゃないですか。つまり、あなただって
- ある程度解ってもらえればいいじゃない
ですか。夫婦でも家族でも、なにもかも共有し合おう、し合えると思うのは、密着度も期待値も高すぎて
- 破綻の元
ですよ。