ところで京セラも日本電産も「画期的な製品開発」によって急激に中堅企業にまで一気に駆け上がった企業ですが、創業間もない頃には高学歴者の技術者などは望むことすらできなかった企業でした。これはパナソニックにしろホンダにしろ創業時はそんなもので、なんらかの手だてがあったからそれが可能になったのでしょう。
そこで、こんな声が聞こえてきそうです。「それについての答えは簡単だ。創業経営者がえらいからそれが可能になったんだ。ホンダは特に『技術の天才本田宗一郎』がいたからだ。他もそれに似たようなものだ」と。確かにその一面はあるでしょうが、あの組織をあげての「製品開発」を一個人の功とするには無理があります。
確かに、秀でた創業者の存在なくしてはありえないことですが、創業者の思いに共鳴した多くの人の存在なくして成し得ることではなく。ただし、それらの超優良企業にいた最初の人材は「高学歴の専門家」でなかったのは事実で、そこにいた“人材”について言えるのことはどこにでもいる平凡と称される人たちだったということです。
「組織の信念」は、経営者が普遍性のある「価値観」にもとづいて創造しなければならない「基本活動」であります。「あるべき考え方(価値観)」の注入は、企業に強い活力をもたらし、「価値観(理念)の構築」は経営者が貢献をはたすための専権的責務であるとともに、これこそが「卓越した事業」を実現させるための手段です。
多くの“卓越した経営者”は、この「経営のコツ」をハタと気付くのです。「あるべき考え方(価値観)」を顕した理念があり、それを根気よく浸透させて企業文化を構築させます。それなのにほとんどの企業では、この“致命的な意味”が認識されずに“人材”が等しく持つ“潜在力”を引き出さず育てないので勝てません。
「簡単な論理」で、松下幸之助さんが言うように「雨が降ったら、傘をさせばよい」で「よほどの変わった人以外は、人は等しく『良いことしたい』『自分の得意な能力を伸ばしたい』『得意で好きなことを思い切りやってみたい』そして『物心ともに豊かになりたい』が“望み”です」。まずは「私たちは“価値あること”を行っている。」を伝えることです。