令和2年のNHK大河ドラマの主人公、明智光秀。光秀と言えば日本史最大のミステリー「本能寺の変」を引き起こした張本人ですが、その動機に関しては未だ謎に包まれたままでもあります。そんな歴史的大事件の解明に挑んだ一冊を紹介しているのは、無料メルマガ『クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】』の編集長・柴田忠男さん。そこでは、既刊本とは異なる切り口での「本能寺の変」の考察がなされていました。
偏屈BOOK案内:乃至政彦『信長を繰り、見限った男 光秀』
『信長を繰り、見限った男 光秀』
乃至政彦 著/河出書房新社
「史上もっともミステリアスな武将の正体 意外なまでの光秀像が史料から浮かび上がった なぜ天下人を討つに至ったか? 最大の謎がいま解ける!」「信長の天下取りは光秀の筋書きだった! 志に乏しい信長を煽動し続けた光秀。忠臣を捨て謀反を決意したのはいつか?」とカバー帯で自信満々。惟任(明智)光秀の生涯を追いながら、本能寺の変の背景と真意に迫る野心作。
激戦区「明智光秀」に乗り込んだこの本、既刊本とは確かに違う切り口だった。全16章だが、14章あたりまでは相当に退屈である。投げだそうかと思ったが、我慢して読み進めるとまったく新しい光秀像、信長像が見えて来た。「本能寺の変」は、怨恨、陰謀、共犯など諸説あるが、光秀は信長を三度繰り、信長の天下布武に望みを託したが、期待を裏切られて決起した、と著者は断言する。
「光秀は信長への不満を膨張させていたといわれるが、本能寺の変では具体的な大義を何も挙げていない。それなのに光秀の不満が正当なものだったと見て、この事件だけ他の謀反と違った特別な理由を見出そうとする傾向が一部の識者にあるようだ。だが、ここに特別の理想や事情、または黒幕や陰謀を探し出そうとするのは徒労だろう」「論争の仕組みに設定ミスがある」とバッサリ。
著者は断言する。本能寺の変に特別の謎などない。数ある謀反の一つが絶妙に成功したまでのこと。
- 光秀は信長に何らかの不満があった
- 信長が近々容易に殺害可能な場所に移る予定だった
- 決起後の武略を主導する自信があった
三つのうちどれか一つでもなかったら、光秀は決起しなかっただろう。
光秀の動機はこれという真相一つに集約されるのではなく、「光秀の折り重なる不満に信長の油断が合わさって逆心に変じた」と見るべきである。怨恨と野望、絶望と大義、利害と武略……これらの思考が不安定に押し合って光秀を動かした。変後の光秀は殺害の動機をまったく表明しておらず、謀反の大義も何一つ唱えていない。「決定的要因があるとすれば、信長があまりに無防備過ぎたこと、変後の勝算がありそうに見えたことに尽きるだろう」コレ正解みたい。
「このときの光秀は、決起後のシナリオを打ち立てられるおのれの武略と、信長の油断ぶりに嫌気がさす想いでいたのではないだろうか。しかもこのチャンスは自分が望んだわけでもなく、向こうから転がりこんでくる」。こうきたか。上手な解釈だな。そして、他説にないのが(というか、今まで聞いたことがない)信長が「三職推任」を快諾していれば、本能寺の変は起きなかったという。
「三職推任」とは朝廷の側から京都所司代の村井貞勝に、信長を「太政大臣か、将軍」に推挙したいという打診である。いまこそ信長が統治者として君臨すべきだという考えだ。しかし信長はこれに返答する前に殺害され、彼の思い描く政権構想がどういうものか不明であるが、足利将軍推戴だったようである。幕府中興の祖として、永遠の名誉と神格を得ようとしていたのだ、という説。
光秀も信長も、足利将軍を擁立した上で自分たちが実権を握る政体しか考えなかった。武略として間違ってはいない。利用価値がなくなったら自分が幕府を開くつもりだった。光秀はスタートダッシュが謀反という点でマイナスである。とはいえ、光秀は最初から最期までその虚実が定かではない。「英雄とは神話のマテリアル(材料)である」とは、きれいなまとめ方である。
編集長 柴田忠男
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