追悼・古賀稔彦。平成の三四郎の心を強くした「両親の謝罪」とは

 

心の変化はそれにとどまりません。いまの自分が無性に恥ずかしく思えてきたのです。それまでは、「おれが練習して、おれが強くなって、おれがオリンピックに行って、おれが負けて、おれが一番悔しいんだ」と思っていました。ところが両親の姿を見ているうちに、闘っていたのは自分一人ではなかったことに気づかせてもらったのです。

すると驚いたことに次々と私をサポート、応援してくれた人たちの顔が浮かんできました。例えばオリンピックに向けて練習相手になってくれた仲間がいました。彼らは自分たちが試合に出られないのに、私のために何度も受け身を取ってくれました。

しかし、当時の自分はそれが当たり前のこととしか受け止められませんでした。また、たくさんの方からの声援や心のこもったお手紙を何通も頂戴しましたが、応援されることが当たり前と思える自分がいました。

ところがこうして少しずつ周りが見えてきたことで、自分の後ろにはこんなにもたくさんの人たちが一緒に闘ってくれている、だから安心して闘っていいのだと思えるようになったのです。そしてこれを機に、それまでの自分が嘘のように前向きになることができました。

もう両親に頭を下げさせてはいけない。そして自分をサポート、応援してくれた人たちにも絶対喜んでもらいたい。そのためにはオリンピックで負けたのだから、次のオリンピックで金メダルを取って恩返ししよう。この時に抱いたこの思いこそが、4年後のバルセロナオリンピックにおいて、怪我で苦しみながらも金メダルを獲得することができた大きな原動力になったのです。

また一方で、現役生活を長く続けていて感じたのは、若い頃は強いからこそたくさん応援されるのですが、年とともに結果が出せなくなると応援される場面がなくなってくるのです。特にオリンピック出場の可能性がなくなる頃になると、なおのこと感じるものです。

ではそれでモチベーションが下がるかというと、そんなことはありませんでした。そもそも自分が自分の夢に向かって頑張るのは当たり前のことです。これが社会人であればいくら夢に向かって頑張っていても、そうそう他人から応援されることはないでしょう。ところが競技をやっていると自分が知らない人からも応援してもらえます。考えてみればこれは決して普通ではなく、むしろ幸せなことと思える自分がいたのです。

ですから、現役を引退する最後の最後まで、たとえたった一人の応援だったとしてもそれがどれだけ励みになったか分かりません。振り返れば本当に幸せな現役時代だったと思います。

「精力善用・自他共栄」という柔道の祖・嘉納治五郎先生が残した言葉があります。その意味を一言で表すと、人のお役に立ちなさいということでしょう。

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