前回の「緊急事態宣言中に“オリンピック強行”の支離滅裂。「悪夢の菅政権」が自ら崩壊する日」で、四度目となる緊急事態宣言を出しながら「オリンピックは無観客でも開催する」と言い出した菅総理と政府を猛批判した京都大学大学院教授の藤井聡さん。そんな藤井教授は自身のメルマガ『藤井聡・クライテリオン編集長日記 ~日常風景から語る政治・経済・社会・文化論~』の中で、反対の声を押し切って23日におこなわれた五輪開会式を見て呆れた理由を紹介しています。藤井教授が世界に恥ずべきと酷評し、ツッコミを入れた五輪開会式の「ダメ演出」とはどの演目だったのでしょうか?
(この記事はメルマガ『藤井聡・クライテリオン編集長日記 ~日常風景から語る政治・経済・社会・文化論~』2021年7月24日配信分の一部抜粋です。続きはご購読の上、お楽しみください)
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「多様性」を重視した東京五輪開会式は、日本人が自信と誇りを失った姿を世界に晒す機会となった
東京オリンピックが始まりました。一日本国民として、日本の「歴史的イベント」を目撃すべく、テレビでその開幕式の様子を観ました。
日本国民は、このイベントについて、ポジティブなものからネガティブなものまで多様な意見を持たれたようですが、もう折角始まってしまったのだから、何とか盛り上げようじゃないか、選手の皆さんも世界中から集まってこられていることだし、という気分を現時点で共有しているものと思います。
この国民的大イベントを成功させることは、国民としての一定の務めだという意見には一定の説得力があります。しかし、第一にこれが菅総理の政治的戦略の一環として開催されたのみならず、第二にこれがIOCのビジネス戦略の一環として開催されたものである事も事実であり、そして何より第三に、過半数の国民が開催直前までこの開催に後ろ向きであった事を忘れてはなりません。
いわば、国民の事なんて何も考えちゃいない政治家と国際組織に、全然やりたくなかった五輪を強要され、有り難がれよと言われている様なものですから、ここで諸手を挙げてはしゃぎ回るのはいかがなものかと考えるのが常識的な判断とも言えるでしょう。
にも関わらず、(もともと大賛成していた人を除くと)「歓迎しろよ!」なんていう威圧的空気を醸し出す事ができるのは、ただ単に記憶能力が乏しい精神の持ち主に限られるとも言えるでしょう。
とはいえ、これから何度も繰り返されるであろう「アスリートに罪は無い」という台詞によって、五輪に対する国民の感情は徐々に肯定的なものになっていくことは容易に想像されるところであり、それこそ、菅官邸が狙いに狙っていた戦略だったことは記憶しておく必要はあるでしょう。
……という、今回の五輪開催の「背景」についての考察はさておき、かの五輪開会式、皆様の目にはどう映られましたでしょうか?
最初に断っておきますが、それに対する感想をどう持ったとしても自由であります。
しかし、「普通はこういう感想になるんじゃないか?」とか「こういう感想は浅いだろう」いう意見を表明することも自由です。
ついてはそうした「意見表明の自由」をベースに、当方がこの五輪開会式で感じた事を、お話ししたいと思います。皆が自由闊達に、この「国民的大イベント」について様々に議論していくことそれ自身が、日本の活力に直結すると確信しているからであります。
まず、肯定的な印象の断片をお話ししたいと思います。
天皇陛下がご臨席になって開会宣言をなさり、バッハ氏や橋本氏のオフィシャルな挨拶の冒頭で天皇陛下にいの一番に言及されたことは大変素晴らしいことだと感じました。
あのドローンのエンブレムと地球儀のアトラクションは素晴らしいものだと思いました。
そして、日本の伝統文化の一つである歌舞伎が僅かなりとも取り上げられ、そして、その所作が堂々たるものであったのを目にした時、これこそ日本の誇りなのだと感じ入りました。
……残念ながら、あれこれ考えましたが、これ以上あの開会式について肯定的に感ずる側面はありませんでした。少なくとも今、思い出せません。
一方で、あの開会式を見ている間中、当方は哀しい気持ち、悔しい気持ち、情けない気持ち、腹立たしい気持ちに、終始苛まれました。
分かり易いところからツッコミを入れていきます。
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