役立たず覇権国アメリカ。軍事力信仰という病に冒されたバイデンの時代錯誤

 

本当は役立たずの軍事力

カーター大統領の安保担当補佐官だったズビグネフ・ブレジンスキーが4年前に亡くなって以降は、民主党系の外交政策エスタブリッシュメントの文字通り頂点にあるナイだけに、正面切って政権を批判する訳にはいかないので、よろず持って回ったというか、奥歯にものが挟まったような言い方になるのはやむを得ないだろう。

バイデンが、軍事力の優越を振りかざすような冷戦型2次元思考に引き込まれまいとしているのは「偉い!」と褒めているように見えるが、それは取って付けた皮肉まじりのお世辞のようなもので、本当は「大統領の実際の行動を見ると、彼の対中戦略はまさに冷戦思考に冒されているかのよう」であることを憂慮し警告しているところに、この論説の本旨があると見るべきである。

米国の軍事力は確かに比類なき世界No.1であるけれども、そうであるが故にそれを振り回すことには慎重でなければならず、また経済の次元や地球的課題の次元とのバランスのとれた相互関係を配慮しなければならないといった言い方も、恐ろしく遠回しなものである。はっきり言ってしまえば、ベトナム戦争から直近のアフガン戦争の無残な敗退に至るまで、米国の世界No.1の軍事力は敗北続きというよりも、クソの役にも立たない無用の長物であることを立証し続けてきた。それにも関わらず、まだそれを見せびらかしたり振り回したりすれば世界はひれ伏して言うことを聞くはずだと信じ込んでいる馬鹿どもがワシントンにいるので、奴らに騙されないようにしろ――というのがナイのバイデンへの忠告なのである。

多国間主義の世界へ

米国がそのような軍事力信仰とも言うべき心の病から逃れられないでいることの根底には、「覇権循環論」の誤謬が横たわる。16世紀のポルトガルに始まり、17世紀のオランダ、18~19世紀の英国、20世紀の米国と、圧倒的な軍事力、就中海軍力を持つ覇権国が現れて世界のルールの決定者として振る舞ったが、これは永遠の歴史法則でも何でもなく、欧州で資本主義が勃興し、すぐにでも各国が地球の隅々まで乗り出して未開のフロンティアを求めて激しく利潤を奪い合ってきたこの数世紀だけの特徴であって、地球上に奪い合うべきフロンティアがなくなって「資本主義の終焉」(水野和夫)を迎えた今日では、もはや通用しない。

だから米国は「最後の覇権国」であって、その後に中国であれ誰であれ米国を力でねじ伏せるような新たな覇権国が現れることはない。いや、まだ深海底や宇宙や仮想電子空間など覇を競うべき場はいくらでもあると唱える者もいるけれども、それらは個々の国家が独り占めにしようとしても上手くいかず、逆に国際的な協力によって資源の共同管理を図るべきであることは自明だろう。そういうことを含めて、21世紀以降は世界のルールを決めるのは覇権国ではなくて、そのテーマに利害と関心を持つ関係国による多国間協議である。

このことがなかなか理解できないのが米国で、20世紀に自分が覇権国として君臨していた時代へのノスタルジアから逃れることが出来ないで不適切な振る舞いに出てしまい、それ故に物事が思い通りにならないと、それは中国が新たな覇権国となることを目指して邪悪な企みをしているからに違いないという疑心暗鬼に囚われてしまう。

逆に、このことを一番よく理解しているのは中国で、習近平主席が多くの国際関係についての演説で必ずと言っていいほど「多国間主義」に言及しているのはその現れである。米国には、中国が米国に取って代わってルールの決定者になることへの恐怖があり、あのオバマでさえ中国を排除したTPP合意が成った2015年10月5日の式典での演説で「世界経済のルールを中国のような国に書かせる訳にはいかない」と毒づいた。しかし、中国が米国に代わって世界のルールを起草しようとしたことなど一度もなく、ただ単に、「覇権の時代が終わった今では米国は唯一のルール決定者ではありませんよね。とするとこれからのルール決定は多国間協議に委ねられる訳で、その場合に米国と並ぶほどの経済規模を持つ至った中国もその協議に参加させて貰うのは当然ですよね」という以上のことを主張したことはない。

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