密室で行われる選考。五輪選手団ユニフォームという利権ビジネス

 

3.国家のアイデンティティ

五輪開会式という世界各国と比較されるステージで、無難なデザインのユニフォームが登場する。日本人は、そのことをあまり気にしていないように見える。それは、日本人が日本のビジョン、日本のアイデンティティを共有できていないからではないか。

例えば、中国は米国を経済で追い抜き、世界の大国となり、共産主義で世界を支配しようと考えている。常に雅文を大国として印象づけ、自らの力を誇示している。

米国は、世界のリーダーであり、軍事、経済、金融の分野で世界をリードしているという自負を持っている。世界一に相応しい態度、ふるまいを目指しているのだ。

ヨーロッパ各国は、歴史や文化を背景としたアイデンティティを持っている。そういう意味で、フランスやイタリアは自国の文化をあらゆる場面で訴求している。勿論、五輪選手のユニフォームはその典型である。

それでは日本のアイデンティティは何か。どんなイメージを世界に訴求したいと考えているのか。

個人的な感想だが、「日本は国際的に目立つことを避けている」ように感じる。目立てば、いろいろと文句を言われる。あるいは、批判される。したがって、目立たず、実を取ればいい。つまり、儲ければいいと考えているのではないか。

目立ちたくないから、主張したくない。日本の文化や歴史の素晴らしさは分かっていても、それは自分たちだけの宝物にしておきたいと思っているのではないか。

勿論、世界から嫌われるのは嫌だ。だから、無難でいい。目立たず、主張せず、真面目に謙虚に生きていく。そんなイメージを感じるのだ。

4.ジャパン・アズ・オンリーワン

日本が鎖国をして、ひっそりと暮らしていくだけならば、それで良いのかもしれない。しかし、主張しないことは、存在しないことと同義である。こうした態度を続けていけば、日本は衰退するだろう。世界から忘れられ、国民も国に対して誇りが持てなくなる。

日本も昔は明確な目標を持っていた。それは、西欧先進国に追いつき、追い越すことだ。その目標は確かに達成された。『ジャパン・アズ・ナンバーワン』という書籍も刊行された。

しかし、その成功は長続きしなかった。為替をコントロールされ、欧米標準の法令を強制され、日本の強みを失った。

勝負に勝っても、ルールを変えられてしまう。そんな悲哀を何度も味わった結果、目立たずひっそりという路線になったのかもしれない。

ここで発想の転換が必要なのではないか。経済的な成長を追求するのではなく、むしろ、経済を成長させずに幸せになる道を探す。日本の歴史や文化を振り返れば、西欧とは異なる思想や価値観を見いだすことができる。

一神教ではなく多神教であること。神と悪魔の二元論にも与せず、むしろ、神と仏が両立する神仏混淆的な思想。自然は神が創造したものではなく、自然そのものが神であり、人間は自然の中で生かされているという自然観と人間観。

経済活動も競争原理に基づくものではなく、共存、共生の原理で発展させようと考える。そして最先端のハイテクと伝統的な職人仕事を共存させる。貨幣経済以前の物々交換、自給自足の思想等も、デジタル化によって新しく生まれ変わるかもしれない。そういう多元的な価値観を訴求するのだ。

そういう意味では、「ジャパン・アズ・オンリーワン」である。かつては、脱亜入欧を目指したが、今後は脱亜脱欧を目指す。そして、世界に日本文化、日本の美意識、日本の価値観を訴求していく。訴求といっても、西欧のように征服したり強制するのではない。西欧の価値観と共存させてもらう。

日本は世界の中で唯一のユニークな存在であり、世界はこの異質な国を保護すべきであることを訴求するのも良いのではないか。

そういう大きな戦略があれば、五輪ユニフォームも西欧の立体的な構造ではなく、きもののような平面の布を立体の人体に着付けるという構造になるかもしれない。

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