結論から言うと、年金制度を統一していきたかったからです。一元化というやつですね。
主に昭和50年代までに年金制度はお互いに独立していたので、競うように年金額を引き上げていきました。景気が良かったので、人々の所得が10年もあれば2倍になってしまうような時代だったので、老後の保障としての年金額が彼らの賃金水準などに遅れを取るわけにはいかなかったからです。
各制度が独自に引き上げ続けていったので、給付額がバラバラだったわけです。
バラバラでしたが、その中でも公務員が加入する共済は最も給付水準が高いものでした。例えば厚生年金は全ての期間の平均を取りますが、共済は退職前1年間の平均を取っていたので高額な年金になっていました。
そうすると、官民格差を指摘されるようになっていきました。公務員は給付水準が高すぎて有利なので、共済に対しての批判が強くなっていきました。
さらに厚年が55歳や60歳から貰う年金でしたが、共済は50歳から貰えたりしましたからね…そういう点においても合理的な説明が付かない差がありました。
このように年金制度はそれぞれ独立していたわけですが、もう一つ問題がありました。
産業ごとに分立していると、その中には斜陽化していく会社が出てくるわけです。
独自に共済の年金制度をやっていても、その産業が斜陽化していくとその産業の年金制度は持たなくなる危険性がありました。
実際には国鉄共済組合というのがありましたが、時代の変化に付いていけずにほぼ破綻していました。
国鉄は戦後に職を失ったり、日本領だったところから日本本土に帰還した人を大量に採用しました。
しかし、昭和40年頃からその大量に採用した従業員が一斉に退職期を迎える中で、自動車産業の発展によりマイカーを持つ人が増加していった事で国鉄は斜陽化していきました。
国鉄共済加入者に対して、退職者のほうが圧倒的に多いという状況になったので、国鉄共済を維持するには加入者の保険料を倍以上にするしかないような状況になりました。
昭和60年代になると国鉄加入者数に対して165%が年金受給者になるという状況になりました。まあ、100人の加入者で165人の受給者を支えるような状況ですね。
※ 参考記事
● 国鉄共済組合が財政危機に陥ったり、その後に厚生年金に統合された歴史など(2020年6月バックナンバー)
このように、ある会社は給付水準を引き上げて豊かになるところもあれば、斜陽化して破綻寸前になってる所の差があったわけです。
なので、もう年金制度は一元化していくべきだとの声が強くなり、昭和59年4月に閣議決定して平成7年までに年金制度を一元化していく事が決まりました(実際は平成27年10月に完了)。
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