ところが、自分の土地になってもあまりにも細分化されて小さな土地だったから、かえって農業の零細化を促進させる事になりました。
農業所得が減少したわけですね。
そこで、国民年金が本格的に始まる昭和36年に農業所得を向上させて、自立経営農家を育成しようという農業基本法が始まりました。コメだけじゃなくて収益の高い作物を作るようにしたり、機械化や近代化を促進させたりするんですね。
当時は食糧管理制度というのがあったんですが、これが今となっては信じられないものでした。
農家からコメを政府が高く買って、政府が国民に安く売っていました。
農家の所得を安定させるために政府は高額にコメを買って、国民に売る時はあまり国民に負担にならないように安く売っていました。
高く買って安く売ったら…そんな事したら大赤字ですよね。
あまりにも農家に対しての露骨な選挙対策に野党からの厳しい批判により、食糧管理制度も無くなっていきましたけどね。食糧管理制度は昭和17年から平成7年までありました。
このように政府は農業の人の所得が減らないようにしようとしたのですが、時代は高度経済成長期だったのでちょっと都会に働きに出ればいくらでも稼げたわけです。
会社としても工業生産をどんどん増やしたいから、労働者が欲しくてたまらない。その労働者を引き留めておくためにも、雇用は終身雇用にして、年齢が引き上がればその分給与が上がる年功序列を導入していきました。
そうすれば労働者は会社に長く働くし、忠誠心も養われる。
すると農家から都会へ出て稼ぎに行く人が多くなり、都会でサラリーマンやって厚生年金に加入していく人が多くなっていきました。
国民年金の加入者の中心が農家の人だったのに、その加入者人口が減っていくようになりました。
田舎は人口が減って過疎化が進み、都会では人口の過密化が進みました。
国民年金も産業の斜陽化の影響をモロに受け始めるようになったわけです。
ちなみに国民年金保険料の納付率は地方では高めでしたが、都会では納付率は低いようでした。大規模な国民年金反対運動が続いたりで、特に都会では普及するのが遅れてしまいました。
(メルマガ『事例と仕組みから学ぶ公的年金講座』2022年6月1日号より一部抜粋。続きはご登録の上お楽しみください。初月無料です)
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