大学全入時代が元凶?現代の若者が失敗を恐れるようになった理由

A high school hall or room set up ready for an end of year final exam to be sat by students. examination paper sitting on the edge of a desk or table.
 

手を抜いてもどこかの大学には入れる

誤解を恐れず言えば、適当に手を抜いてもどこかの大学には入れる時代なのだ。大学側も学生の獲得に必死だったりする。そんな時代において、真面目に努力をしない高校生はどうなるか。いきたい大学ではなく「今の実力で行ける大学でいいや」ってなる。

一方で、真面目に努力を続けた受験生は「大学ならどこでもいい」とは思えなくなる。むしろそれじゃ嫌だからこそ、他の人がしないような努力を積んでるんですよね。

実力が上がれば、志望校のレベルも上がる。もちろん、そういう大学には受験生が集まるので倍率も高くなる。だから不合格になる可能性が上がっていく。

「大学ならどこでもいい」という受験生と「絶対に東大しか行かない!」と考えている受験生がいたら、どちらの方が合格する可能性が高いかを考えればわかるだろう。

ところが、合格であれば前者のような感じであっても「おめでとう」と声をかけ、上手くいった人、幸せをつかんだ人といったイメージを持つ。不合格ならどれほど努力して挑んだ人であっても「失敗した人」と考え、残念な人、可哀想な人というイメージを持たれる。結果だけを見てそう思われるとしたらどうやって挑戦する若者を育てられるだろう。

これを読む人の中にも、受験生がたくさんいるのを村長は知っている。

大学受験のために勉強をしている人。資格試験の勉強をしている人。昇進試験のための勉強をしている人。

それぞれが、それぞれのステージで、新たなステージに昇るために頑張っている。そういう人がいる。

その挑戦をすると決めた覚悟が美しいと僕は思う。その勇気を讃えたい。

合格が「めでたい」わけでもなければ、不合格が「惨めな」わけでもない。

合格は必ずしも挑んだ証とはならないが、不合格は間違いなくあなたが挑んだ証だ。どのような結果になったとしても、そこに挑んだという覚悟こそ讃えられるべきだ。

僕はそう思う。

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