「最初から一流」な人たちのシンプルな共通点
多くの職場で、最初に与えられる仕事は「誰でもできること」です。当たり前ですね。だって、何もできない状態で入ってくるわけですから、誰でもできることから始めるしかない。
ところが、誰でもできる仕事ほど、やり方に差が生まれるものはないんですね。タオルを畳むなんて誰でもできるんですけど、どうやるか、どこまでやるかに人間性が現れる。
最初は丁寧にやっていても、しばらくそればかりやってもらっていると、だんだん手を抜くようになってくる人もいる。一方で、最初だけでなく、どこまでも手を抜かず丁寧にやろうとする人もいる。
誰にでもできる仕事をどうやるかを見れば、その人が「どんな美容師なのか」がわかるんです。
料理人も同じでしょう。料理は腕で作るのではない。人が心で作るもの。鍋を洗うその仕事を見れば、その人が作る料理を食べたことがなくても、その人がどんな料理人なのかはわかる。
美容師も料理人も、何かができるようになったから一流になったんじゃないんですね。見習いのときから美容師として、料理人として「一流」だったということ。その一流の人に後から技術がついてくるんですね。
「誰でもできることを誰にもできないレベルでやり続ける」
それこそが一流の証だろうと僕は思っている。それができる人は、その世界に入った瞬間から、将来一流の「それ」として活躍することが約束されている。
一方で、「そんな誰でもできることをやるために、ここにきたんじゃない」と、誰でもできることを疎かにする人は、そこにたどり着くことはできない。本人は「もっと違うことがしたい」「技を磨きたい」と思っているかもしれないが、仕事をして教える側は、「誰でもできることすらできない」と判断する。
これから就職する女子高生に伝えたこと
僕たちは、自分にしかできないことを探して、誰でもできることを敬遠しがちなんですよね。
でも、誰でもできることを誰にもできないレベルまでやる。この時点で、もう自分にしかできないことになってる。
本来は、こうやって自分にしかできないことって見つけるんだよって、誰も教えてくれないとしたら、若い人にとっては迷いの多い社会人人生のスタートになるだろう。
仕事は技術ではなく、人が心で行うものです。どれだけ技術が優れていても、仕事は心が行うことを理解できていない人が「一流」と呼ばれることはない。
タクシーに乗ると、何十年も運転しているベテランの運転手さんなのに、全く心地よいとは思えない応対、運転をする人に会うことがある。運転技能が優れていても、そんな人を一流と呼ぶことがあるだろうか。まさに仕事は心がするということがわかる瞬間だろう。
人間性が技術を超えない限り、技術は害になり得るのだ。技術だけ一流になっても全く意味がないということだ。
これから就職するという三人の女子高生には、こう伝えました。
「君たちが、就職した先で、最初に教わる仕事は、誰でもできる簡単なことだろう。それを誰にもできないレベルに仕上げることを、誰にもできないくらい続けていきな。それをやる人を一流と言うんだよ。だから一流には誰でもなれるんだ」
彼女たちは、まっすぐこちらを見て、真剣に聞いていました。
きっと最初は「それが一流である」ということにピンとこないでしょう。でも、それを継続するほどにこの言葉の深さや、重みに気づくはずです。
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