「めんどくさい」でも「シカタガナイ」
あんなにとんがっていろんな意見を言う人が、5年日本に住んでたら、すっかり「日本人化」しています。聞いてみたら、不満はたくさんあるけど、ちょっと言葉に出すと「じゃあ母国に帰れば」と言われるので諦めたそうです。
だから現状に合わせるしかない。「仕方がない」と。あーそうか。それはむっちゃわかるなーと思ったのです。
でも、それね、外国人だけじゃないよ。私は知っている。日本人にも、「あー面倒臭い。なんでこんな意味不明なんだろ。でも、仕方がない」と思考を押し込めて耐えている人がたくさんいることを。日本人の私ですら「グローバル標準はこーなってるよ」と書くと、すぐに「出羽守」とか、「うるせえ、じゃあ日本をでてけ」って言われちゃうもんね。
田舎に行って、「東京では」というとみんなから嫌われるのと一緒。多分、言ってもいいことは1ミリもない。だから、みんな黙るのです。私も日本に来たら全てのことを「シカタガナイ」と諦めるようになってます。
戦っても無駄。どうせ変わらない。どうせ無理。そんな空気に飲まれてしまう。しかし、これじゃ、世界からは、学べない。「どうせ変わらない」とみんな思ってる社会は息苦しい。外国人なら尚更だよね。
私もマレーシアで不満があっても、それを「変えろ」とは言いません。外国人だし、住みたくて住んでるわけで。だから、マレーシアに長くいる日本人も、マレーシア人っぽくなっていくのです。
そして、私は「外からくる外国人が少しは変えてくれないかなー」と無責任に考えていた自分の思考に気付いたのでした。よく「日本は外圧で変えるしかない」っていうけど、実際のところ、それも難しいのかもね。他人の家のやり方がおかしくても、自分が行って変えようとは思わないように。
結局は、外圧に頼らずに、私たち、中の人が自分で責任を持って変わるしかないんだよね。そして、それには嫌われる勇気が必要なんだな。と思ったのでした。
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