文筆家が気づいてしまった「効率化」についての「不都合な真実」

 

ここから二つの問題提起ができます。一つは効果がなくてもやってしまうこと。もう一つは効率化の後の人生です。

前者はわかりやすいでしょう。ようは試行錯誤による問題解決そのものが楽しいのですから、その対象がなんであれそれを行ってしまいます。つまりだいぶどうでもいいことでも効率化しようとしてしまう。当人にとっては非常な高揚感を覚えるものなのでやって当然ですが、他人からみたら些細な効率化にこだわっているように見えます。

ここにちょっとしたズレが生じます。なにせ「ライフハック」というたいそうなネーミングなのに、しょーもないことをやっているように見えるのですから。その不一致はライフハックへの期待と失望を生んでしまうでしょう。

その後の世界

後者は、時間を導入すれば見えてきます。ある行為を効率化すると、その行為はもう何も面白いものではなくなります。単純ないしは機械的にできるようにしたのだから当然でしょう。だから、別の対象を探して効率化するわけですが、それが終わればその領域も面白くなくなります。

そうやってどんどん効率化していくと、日常の中に面白いと感じられるものはまったくなくなり、ただ単純・機械的に処理していく動作だけが残ってしまうのです。はたしてこれが求めていた人生だったのでしょうか。

ライフハック的転回

そのような不毛さが生じてしまうのは、起点となる理解が間違っているせいでしょう。

「効率化を押し進めれば、幸せな人生がやってくる」というのが根本的な誤りだったのです。そうではなく「効率化とは創造的な作業であり、それをやっている時間は幸せなのだ」というのが本当のところでしょう。この効率化の捉え方の転換を、ライフハック的転回と呼んでみましょう。

ライフハック的転回後の捉え方では、効率化はそれ自体が目的足りえます。効率化しているというだけでもう十分満たされているのです。もちろん、効率を得られたら嬉しいことも多いでしょう。つまり効率化はあいかわず手段でもあります。ただし手段だけではく、手段であり目的でもある。そのような多重性で捉えるのです。

この記事の著者・倉下忠憲さんのメルマガ

初月無料で読む

print
いま読まれてます

  • 文筆家が気づいてしまった「効率化」についての「不都合な真実」
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け