文筆家が気づいてしまった「効率化」についての「不都合な真実」

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少し面倒なことが簡単に短時間でできる「効率化」のノウハウを開示すると、多くの人が喜び、SNSなどで瞬く間に拡散されることもあります。その方法にたどり着いた人は、ある種の達成感を得られますが、虚無感のようなものを抱くこともあるようです。今回のメルマガ『Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~』で、「知的生産」に役立つ考え方やノウハウについて探究を続ける文筆家の倉下忠憲さんは、「効率化」を追求するライフハッカーたちにとっての楽しみがどこにあるのか考察。見えてきたのは、効率化を目指す過程こそが楽しいという「不都合な真実」でした。

効率化についての不都合な真実

皆さんは、「効率化」が好きですか。私は好きです。今回はその効率化が持っている不都合な真実についてお知らせします。といっても、賄賂があったり、悪の組織の野望だったり、地球を温暖化させてしまっているといった話ではありません。ごく単純なことです。

「効率化」という作業は効率的ではない。

ただそれだけの話です。別の言い方をしてみましょう。私たち──あるいはライフハッカーたち──が効率化に取り組むのは、効率を欲しているからではなく、効率化の作業が楽しいからです。だってそれはきわめて創造的な作業なのですから。

わかりやすいイメージ

効率化は、無駄を削ぐために行われます。その処理を施せば、あとは機械的に作業が進むようにすること。そうすることで、私たちは時間を手にすることができ、それが生産性につながっていく。

これが一般的な効率化のイメージでしょう。無駄な時間をどんどん削減していくことによって、自由時間を手に入れ、それでやりたいことができるようになる。わかりやすいイメージです。

そうしたイメージを徹底していけば、あらゆる無駄なことや手間のかかることがなくなった日常が超ハッピーということになります。でも、本当にそうでしょうか。おそらくそうでなかったからこそ、ライフハックという分野は袋小路に入ってしまったのでしょう。

そこにある高揚感

先ほどのイメージが見逃していたのは、何かしらの作業を効率化しているときの楽しさや、効率に向かって進んでいるときの充実感です。

具体的な問題を認識し、その問題を分析して解決可能なアプローチを検討する。その上で、試行錯誤をしながら少しずつ問題解決に近づいていく。多くの失敗の後にやってくる、「うまくできた」という高揚感。これがライフハッカーの心を捉えていた体験です。その結果として得られる効率はグリコのおまけですらなく、Apple製品についてくるステッカーくらいのものでしかありません。

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