「何とか私を安倍派の会長に…」と森元首相の前で土下座した“小物政治家”の実名

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会長を務めていた安倍元首相の死後1年以上が経つも、未だ後継者を決められずにいる自民党最大派閥の清和会。そんな中にあって何としてでも首相の座を手に入れたい権力亡者たちの争いは、水面下で激しさを増しているようです。今回のメルマガ『国家権力&メディア一刀両断』では元全国紙社会部記者の新 恭さんが、地方紙で森喜朗元首相が暴露した後継会長レースの舞台裏を紹介。その上で、汚職にまみれた東京五輪の組織委員会会長だった森氏が政界に大きな影響力を持ち続けている現状に対して、不条理極まりないとの批判的な目を向けています。

安倍氏が残した混乱の種。森元首相が暴露した自民最大派閥跡目争いの舞台裏

自民党最大派閥「清和会」(安倍派)の跡目争いは、安倍元首相が亡くなって1年と40日を経ても決着がつかず、泥沼化の様相を深めている。

8月18日に開催する予定の幹事会と総会で、同派の塩谷立会長代理が新体制に移行する決意を固めているが、それに対して、もう一人の会長代理である下村博文氏が反発し、10日と16日の2回にわたって話し合いの場が持たれた。10日の協議を報じたのが以下の記事である。

自民党安倍派で共に会長代理を務める塩谷立・元総務会長と下村博文元政調会長は10日、国会内で新体制について協議した。塩谷氏は自身を「座長」とする「常任幹事会」による集団指導体制への移行を提案。下村氏は新会長を選出すべきだと主張し、平行線をたどった。(時事通信)

16日の協議でも意見の食い違いは埋まらず、18日の幹事会・総会での意見対立を避けることに合意しただけに終わった。

実は、この塩谷・下村会談に至るまでの間、下村氏がある行動を起こしていた。森喜朗元首相が北国新聞の連載記事「総理が語る」(8月7日付)で、舞台裏を暴露している。

最近、下村博文氏が森氏の事務所にやってきたというのである。下村氏は、森氏に嫌われていることを知っている。後述するが、過去のいくつかの言動が森氏の怒りを買っていた。敷居が高いはずのその人のもとを何の用で訪ねたのか。

「(下村は)『何とか私を会長に』と言うんですが、『それは私が決めることじゃない。みんなが決めることだが、君には味方がいないじゃないか。だったら自分はどうあるべきか考えてみたらどうだ』と伝えたんです」

安倍元首相という指導者を失った安倍派の奇妙さは、代議士を引退している森氏の意向に沿って後継体制が話し合われていることだ。後継会長になり総理をめざしたい野心家はウヨウヨいるが、いずれも傑出した才覚を持ち合わせないため、互いに張り合っているのみ。そんななかでは、派閥の元会長というだけで意見がすんなり通ってゆく。

森氏はいわゆる「5人衆」、すなわち萩生田光一、西村康稔、世耕弘成、松野博一、高木毅の各氏による集団指導体制を発案したといわれる。しばしば森事務所に顔を出して持ち上げてくれるこの5人を気に入っているのだろう。

「少なくとも2年か、3年のうちに、5人のうちで自然に序列が決まっていく」と森氏は言うが、気の長い話だ。会長を置かないほうが、自分の存在感を維持できるという思惑でもあるのだろうか。森氏の暴露話は続く。

「『今までのご無礼をお許しください』と土下座までするので、『君は私に無礼を働いたのか。その自覚があるのなら私は絶対に許さない。帰ってくれ』と言ったんです」

三文芝居のセリフのようだが、実際にあったことらしい。「今までのご無礼」とは何を指すのか、二人の間ではわかるのだろう。われわれは、過去の出来事から推測するしかない。

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