パー券ウラ金疑惑もオスプレイ墜落も「放置」する、日本政治の嫌な“空洞”

 

「薄ぼんやり」した印象が拭えない政府やメディアの対応

2つ目は、中規模から大規模な島嶼の防衛です。そうした島嶼に対して侵略意図を実現するには、まず滑走路に空爆を実施して使用不能にするというのが定石です。そのようにして、空からの支援を不可能にしておいて、強襲を行い島嶼全体を面で制圧するというような作戦が想定されます。これに対してV22は滑走路が破壊されていても、垂直離着陸が可能ですから、滑走路を潰しても、反撃も救護も可能になります。ということは、その存在そのものが侵略意図を挫折させる存在になるわけです。

V22については、非常に大胆な設計であることから、ハード面もソフト面も非常に難しい問題が残っているようで、だからこそ米軍は訓練に余念がない中で、今回の事故という悲劇が起きてしまったわけです。ですが、米軍としては、その抑止力の重要性を考えると、簡単には運行停止にはできないというのは以上の理由があるからと考えられます。

この事故に対する政府やメディアの対応ですが、どうにも「薄ぼんやり」した印象が拭えません。勿論、岸田政権というのは究極のノンポリ政権であり、イデオロギーやビジョンというような道具は持ち合わせていないわけです。そうであっても、実務的に「その時その時の課題」については、とりあえず所轄の役所もあるわけで、対応はして来たわけです。

ですが、今回はどうにもその辺が曖昧であり、飛行停止を求める沖縄などの世論を気遣う一方で、米国の立場もあり、一体どのような調整を行っているのかが見えてきません。

その一方で、世論にはやはり「危ない飛行機だから飛ばすな」という、感情論が厳然として存在しています。本来であれば、危険を冒して抑止力を維持していることへのリスペクトをするのが友軍に対する礼儀だと思うのですが、まるで敵国の飛ばす危険物のような扱いになっています。勿論、この件に関しては昔からそうであって、その延長で惰性的にV22は危険だから忌避するのが正義というような動作になるのかもしれません。ですが、国際情勢における抑止力の重要性が改めて認識されている現時点において、ややこの姿勢は異様にも見えます。

勿論、個別の流れというのは理解はできます。思考パターンを持たない岸田政権が迷いの中で動けないのも、従来型の米軍は負担であり米機は危険物という発想法を惰性で続ける左派も、どちらもそのようなものだという理解はできます。ただ、この両者が作り出す環境には「真剣に引っ張りあった上での均衡」もないし、現実を直視した実務的な判断や検討もないわけです。

言い方を変えるのであれば、文脈自体が弱くなっているし、思考の総量も減っているように思われるのです。左右に見解の相違があり、それが均衡して中道に着地するというのでは「ない」、何か恐ろしい空洞をそこに感じるのです。

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