パー券ウラ金疑惑もオスプレイ墜落も「放置」する、日本政治の嫌な“空洞”

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岸田政権のみならず、自民党がまるごと吹っ飛びかねない安倍派のパーティ券裏金疑惑。しかし政界の反応もメディアの追求も、どこか迫力と本気度に欠けるように思えてしまうのが現実です。この「違和感の源泉」はいったい何なのでしょうか。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では米国在住作家の冷泉さんが、これまで日本の政治は「均衡」により保たれてきたものの、昨今はそれ自体が成立しなくなってきていると解説。その上で、先日起きたオスプレイの墜落事故やパーティ券裏金疑惑を例に挙げ、日本政治に「空洞」を感じざるを得ない理由を詳説しています。

※本記事は有料メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』2023年12月5日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

何もかもが未解決のまま放置される感覚。日本政治における「空洞」

大昔から、日本の政治というのは均衡によって保たれて来ました。2つの政権担当可能な考え方があって、民意の選択によって交代しながら政権を担当するのではありません。そうではなくて、政治思想ということでは、極端に保守であったり極端に左派であったりする言論があり、その真ん中にあるべき実務的な実行可能な政策には思想的な根拠が希薄だが、左右両派の均衡によって、その真ん中に落とし所が来るというシステムです。

均衡というと、安定したイメージありますが、日本の場合はそうではなく非現実な2つの極端があって、その無謀な綱引きの結果、辛うじて真ん中でバランスしている、そんな危うい均衡であると思います。

安全保障がその際たるものでしょう。右派のホンネは自主防衛と核武装であり、現実問題としては全く成立しない考え方です。自主防衛というのは、安保条約で米国に守ってもらうのではなく、敗戦に伴う占領の延長である在日米軍を追い出し、正規軍を持ってそれが国家の防衛に当たるという考え方です。

考え方としては成立しなくもないですが、仮に敗戦に至った旧枢軸の名誉を重視するあまりに旧枢軸軍の復活のような建付けになってしまうと、国際的な孤立を招いて仮想敵国を利するだけです。要するに安全を保障する考え方ではありません。核武装に至っては、NPT体制を崩壊させるもので、戦後の世界秩序を破壊する行為になってしまいます。

反対に、左派の考え方も同様に非現実的です。あらゆる軍事的なものを悪と決めつけて、例えば国連や有志連合における平和維持活動にも背を向けるというのは、確かに「戦争は殺人であり、汝殺すなかれというタブーに抵触するので非倫理だ」という確信に支えられているのは分かります。ですが、個人の感想ではなく政治思想として組織化するとなると大きな問題を生みます。

まず、実力行使を伴う国連の平和維持活動など「手を血で汚す仕事」は他国に押し付けておいて、しかもその各国軍の活動を非倫理的だと白眼視するというのは、いくら大戦の膨大な犠牲と名誉の喪失を経験した国であるにしても、同盟国や国連に対して余りにも非礼だということがあります。言い換えれば、日本だけが「世界に冠たる非戦、非武装、平和の国」であり、他国は非倫理的だと見下すというのは、唯我独尊的な究極のナショナリズムだとも言えます。

また、どうして非武装なのかという理由の中には、日本は武装すると再び侵略などの加虐行為をしてしまうからという、軍や保守派への究極の不信があるわけです。これは分断を煽る行為として、かなり極端なものだと言えます。更に、冷戦期には、こうした非武装論というのが、結果的にはソ連陣営を利するものであって、何らかの調略を受けた結果という問題もありました。

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