運・不運は「事後的」にわかること。後悔ばかりしている人がいつまでも不幸なワケ

 

人生は選択したり選択されたりの連続で、結果的にどんな選択が良かったかは事後的にしか分からない。2つ以上の選択肢があったとしても、両方の人生を歩むことは不可能なのだ。だから運・不運は本当は事後的にも分からないのかもしれない。ある選択をした結果、今の状態にある程度満足していれば、運が良かったと思えるし、逆に今が不満足ならば、運が悪かったと後悔することになるが、現状に不満足な人は、別の選択をしたならば、もっと悲惨な結果になっていたかもしれないということには思い至らない。

タクシーが渋滞に巻き込まれ、搭乗予定の飛行機に乗り遅れたのは、その限りでは運が悪かったには違いないが、その飛行機が事故で墜落して乗員乗客が全員死亡したら、遅刻したのは僥倖だったということは、誰にでも分かる。しかし、ほとんどの出来事はそんなに単純ではない。体調が悪くて病院に行ったらがんの末期で、放置すればあと3か月、治療をしてもあと6か月と宣告されたとしたら、どう思うだろうか。

もっと前からがん検診を受けて早期発見していれば、こんなことにはならなかったと後悔する人は多いと思う。しかし本当にそうだろうか。搭乗予定の飛行機に乗りそびれたおかげで命が助かったのと違って、この場合因果関係ははっきりしない。早期発見して、早期治療を受けていれば、手遅れにならなかったという保証はない。手術をして抗がん剤を投与した結果、QOL(生活の質)が落ちて、もっと前から体調が悪くなっていたかもしれない。早期発見して治療をした場合と、放置していた場合の帰結がどうなるかを、同一人物で試すことはできないのだ。

ちなみに、治療をしなければ3か月の命と宣告して、患者を脅かす医者は信用しないほうがいい。そもそも、治療を選択しなかった人は病院に来ないので、どのくらい生き延びたかを医者は把握することができない。統計的に分かっているのは、治療を受けた人の平均余命だけだ。無治療のがん患者がどのくらい生き延びられるかを、ある程度把握していたのは、無治療のがん患者をたくさん見ていた近藤誠(故人)くらいのものだ。

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