運・不運は「事後的」にわかること。後悔ばかりしている人がいつまでも不幸なワケ

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「あの時、別の選択をしていれば…」。誰もがそう思う「あの時」があるのではないでしょうか。ただしその時、別の選択をしていたらより不幸になっていたという可能性について考える人は、多くないのかもしれません。今回のメルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』では、CX系「ホンマでっか!?TV」でおなじみの池田教授が、運の良し悪しについて考察。例えばがんを早期発見しても、運が良いとは限らず、選択したりされたりのやり直しのきかない人生で、後悔ばかりしている人が不幸な理由も明かしています。

運と優生学

私の母親は、私が大学に入った時も、大学院を修了して学位を取った時も、結婚した時も、山梨大学に職を得た時も、ただ「清彦は運が良いから」としか言わなかった。「俺だって少しは努力したんだよ」と言っても聞く耳は持たなかったようだ。確かに運は良かった方だと思うけれど、運が良いとか悪いとかって、いったい何だろうと考えると、これがあまりよく分からないのである。

都立上野高校と東京教育大学と東京教育大学の修士課程に入学できたのは少しは勉強したおかげで、運だけで合格したわけではないと自分では思っているが、東京教育大学の博士課程の入試に落ちたのは、運が悪かったせいに違いない。私が所属していた生態学講座は弱小講座で、私の努力とは無縁のところで(動物学教室の講座間の力関係で)、合否が決まったのではないかと思っている。

というのは、博士課程の合否の選考に当たっては、筆記試験ばかりでなく、修士論文の出来も考慮されるということだったが、私の修論は後に「日本生態学会誌」に英文で掲載されたので、自分で言うのもなんだけれども、修士論文としては上出来の方だったのは確かだからだ。しかし東京教育大の博士課程の入試に落ちたおかげで、私は東京教育大学の大学院に見切りをつけて、1年浪人して次の年に東京都立大学の博士課程に入学して博士の学位を取得し、1年後には山梨大学の専任講師に採用されたのだから、結果的には運が開けたわけである。

「禍福は糾える縄のごとし」という諺がある。博士課程の入試に落ちて運がないなあと思ったけれども、実はこれは不運ではなく幸運だったのかもしれない。高額な宝くじに当たって有頂天になり、勤めも辞めて遊び暮らしていた人が、気が付けば無一文になってしまったということは、話半分としてもありそうだ。そこまで無残ではなくても、高額宝くじに当たった結果、人生が幸福になるどころか、むしろ不幸になった人も多いという話はよく聞く。貧乏人のやっかみかもしれないけれどもね。

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