【起業記】大繁盛ラーメン店『町田商店』を作った男が綴る(その3) 「第1号店を開業」

 

2号店『代々木商店』オープン

オープンから2年経ち、順調に売り上げを伸ばし続け、社員も増えていったため、次のお店を出店しようとスタッフみんなで話すようになりました。

次はもっと好立地で勝負したいと思い、エリアは町田から1時間圏内と広めに設定し、たくさんの物件から選定することにしました。エリアを広げたことと家賃上限を50万円と設定したため、魅力ある物件に巡り合う機会はしばしばあったのですが、申込書を出す度、不動産業者から同じことを言われました。町田の1号店を出す時と同じように、大家さんがことごとくラーメン屋はNGだというのです。

ある物件を申し込んだときのことです。お店でスープを作らないでどこか別のキッチンで作ったものをお店に運ぶなら契約してもいい、という条件を出してきた大家さんがいました。臭いが出てしまうのを懸念しているのであって、飲食店を運営するのは問題ないということでした。他の場所でスープを作るという概念など全くありませんでしたが、もしそれが叶ったら、今後店舗を取得するのに大きなプラスを与えてくれると思いました。

それから、町田商店のスープを同じレシピで作ってくれるスープ業者を探して回りました。意外にもそれが可能な業者がすぐに数社見つかりましたが、障害になったのは、どの業者もロットが足りないとのことでした。1、2店舗のスープを委託されて作っても、量が少なすぎて商売にならないので手伝えないということだったのです。

10店舗ほどの使用量があれば何とか成立するとのことでしたが、到底そんな店舗をいきなり出店できるわけもなく、悩んでいた時、ふと、たつさんのことが頭に浮かんだのです。

過去何件かラーメン店での勤務経験もあり、顔の広かったたつさんに相談すれば何か道が開けるかもしれないと思い、約二年ぶりに連絡を取ると、たつさんは『壱六家』を退職し、生命保険の仕事をしていました。

話を聞くと『壱六家』で、成果を出したら出した分だけ給料を払うと言われたのに対して、ほとんど給料に反映されなかったため退職し、基本給ゼロでも本当に成果の分だけお給料をもらえる完全歩合の生命保険に転職したとのことでした。たつさんはそこで、1年目から年収1000万を超える成果を出しており、やはり只者ではなかったんだなと改めて感心しました。

事情を説明し、誰か『町田商店』のスープを共有して使ってもらえるところはないかと相談すると、4社10店舗にて『町田商店』の味を気に入ってもらえて、一緒にそのスープを使ってくれることになったのです。

そしてオープンから2年半が経った2010年の8月、2号店となるJR山手線代々木駅で『代々木商店』をオープンすることができたのです。

 

information:
町田商店

第1回第2回

 

『<ロードサイドのハイエナ> 井戸実のブラックメルマガ』 より抜粋
著者/井戸実
神奈川県川崎市出身。工業高校を卒業後、寿司職人の修業を経て、数社の会社を渡り歩く。2006年7月にステーキハンバーグ&サラダバーけんを開業し同年9月に㈱エムグラントフードサービスを設立。
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