自転車に乗るのは体面にかかわる
「俺が俺が」の社会は、勝者と敗者が明確な格差社会となり、勝者はことさらに自らの体面を重んずるようになる。
企業や役所の幹部など、社会的成功者は運転手付きの公用車、社用車に乗る。一般大衆がすし詰めになったバスの横を、黒塗りの大型車がスイスイと走っていく。
会社や役所で車付きの幹部を務めた人が、退職後にもっとも愚痴をこぼすのが、運転手付きの車がなくなったことで、満員のバスに乗ったり、タクシーを拾ったりする「みじめさ」に耐えられず、つい外出もおっくうになるほどだと言う。
黒塗りの大型車の対局をなすのが、自転車だ。みすぼらしい格好の労働者が大きな荷物を乗せて、汗をかきながら自転車を漕いでいる、というのが、伝統的な「下層労働階級」のイメージである。
黒田氏の知人の日本人が、知り合いの韓国人の牧師の家に遊びに行った時のこと。この牧師は日本の教会との交流で、何年か日本生活の経験があったという。その牧師の奥さんがこう言ったそうだ。
うちの人は日本にいる時やっていたといって、自転車で外出しようとするので困ります。あんなはしたないことされると体面上困ります。
(『韓国人の発想』黒田勝弘 著/徳間書店)
立派な聖職者は「自転車なんかに乗って出歩いてはいけない」というのが、この奥さんの「体面」へのこだわりである。
もちろん、日本でも同様な感覚を持つ人も多いだろうが、一方で、「地位のある人でも慎ましい生活をしているのが本当に偉い人だ」という価値観も根強い。かつて経団連会長を務めた土光敏夫さんがバスで通勤している姿が静かな感動を呼んだ。
「サジャンニーム!(社長さーん)」
体面の最たるものが、肩書きである。韓国社会では日常会話でも、相手を肩書き付きで呼ぶことが多い。
新聞社では記者同士で「○○記者(キジャ)」と言い合っていますし、大学では教授たちがお互いに「○○博士(パクサ)」と呼び合っています。街の通りや、食堂、飲み屋などでも連れだった客同士が「キム部長(ブジャン)」「パク課長(クワジュン)」…と肩書き呼称が飛びかっていますし、さして大きなバー、クラブでなくとも飲み屋の男子従業員をホステスたちが「○○専務(チョンム)」「○○常務(サンム)」といい、大通りで「サジャンニーム!(社長さーんの意)と声をあげれば、みんな「オレのことか?」という顔で振り向くほどに、韓国には社長がたくさんいるということになります。
韓国人の独立心が強いのも、結局、誰かの下でいつまでも働いていたのでは「カムトゥ(官職、地位)」が得られないため、独立すれば手っ取り早く肩書きができるから、ということかもしれません。独立し、一人で商売を始めると、みんな社長になれるというわけです。
(同上)
逆に、相手の体面に相応した呼称をもちいないと、韓国人は激しく怒り出す。日本の各マスコミのソウル支局では、日本語のできる韓国人スタッフをおいて取材の協力などをして貰っている。各社の特派員たちは彼らを「助手」と呼ぶが、この肩書きは本人たちには大変評判が悪い。
ある時、新しく赴任してきた若い日本人特派員が、本人のいる前で「助手の○○さんは…」とやったところ、本人がつかみかからんばかりに怒った。本人にしてみれば、何代にもわたって特派員を手助けしてきており、新参者の特派員などよりも先輩だという自負があった。
日本では「助手」という言葉に侮蔑感は含まれていないから、この新米特派員もそう呼んだのだろう。長年「助手」として務めてきた人には、周囲の人も敬意を払う場合が多いからだ。