反米の砦とも呼ばれる上海協力機構ことSCO。日本ではあまり報じられていないのでご存知ない方も多いかもしれませんが、この組織に新たにインドとパキスタンが加わることになりました。これが何を意味するのか、日本にどう関係してくるのか。無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』では著者の北野幸伯さんが、SCOのこれまでの歩みを振り返りながら解説しています。
巨大化する反米の砦SCO
日本ではあまり報じられていませんが、「歴史的」かもしれない出来事がありました。インドとパキスタンが、「反米の砦」上海協力機構(SCO)の「正式加盟国」になったのです。なぜそれが、「歴史的」?
SCOとは?
SCOは、2001年につくられました。創設メンバーは、中国、ロシア、カザフスタン、タジキスタン、キルギス。そして、ウズベキスタンが参加しました。中国、ロシア以外は、中央アジアの国々です。
SCOは、03年頃から「反米の砦化」していきます。なぜ? ロシアのプーチン大統領が願ったからです。なぜ?
ロシアとアメリカの関係が、03年頃から、とても悪くなってきた。まず、ロシアは、03年に始まったイラク戦争に反対。同年、アメリカ、エクソン・モービルは、ロシアの石油最大手(当時)ユコスを買収しようとして、失敗した。プーチンの命令で、ユコスのホドルコフスキー社長(当時)が脱税などの容疑で逮捕されてしまった(ユコス事件)。
03年、コーカサスの旧ソ連国・グルジア(現ジョージア)で革命が起こった。そして、「親アメリカ・反ロシア傀儡政権」ができました。04年、ロシアと欧州の間に位置するウクライナで革命が起こった。そして、「親アメリカ・反ロシア傀儡政権」ができた(ウクライナでは14年にも革命が起こり、内戦が勃発した)。05年、中央アジアの旧ソ連国キルギスで革命が起こった。
「嗚呼、かつてはロシアの実質支配下にあった旧ソ連諸国で革命が起こりまくっている。このままでは、ロシアの勢力圏が奪われる。いや、それどころか、ロシアでも革命が起きかねない!」
これらの「革命」の背後に「アメリカがいる!」と確信したプーチン。05年に「大戦略的決断」をします。一つは、中国と事実上の同盟関係を築き、アメリカに対抗すること(これを私はしばしば、薩長同盟に例えていました。アメリカとガチで戦っているプーチン・ロシアは長州。外交力、工作力で、なるべく直接対決を避けている中国は薩摩)。
もう一つは、SCOを「反米の砦」にすることです。実際、ロシアには「SCOをNATOに対抗できる組織に育てたい」という思惑がある。それで、SCOは07年、初めて加盟国6か国の合同軍事演習を実施しました。