商社マンからフリーターへ。哲学者・小川仁志を転落へ導く天安門

2018.03.12
 

オンエアの後、独立派の人たちから「俺たちは少しも迷ってない」と詰め寄られ、政治の集会にまで連れて行かれました。でも、それがきっかけで、社会を変えるということにこれだけ熱くなれる人がいることを知りました。そして次第に私自身がその魅力にとりつかれていったのです。

考えてみれば80年代のバブル期、自分のことばかり、あるいはお金儲けのことばかり考えて青春を過ごしてきましたから、頭をガツンと殴られたような衝撃があったのでしょう。私の中で何かが大きく変わり始めていました。でも、まだそれが何なのか、自分の人生にどのような影響を及ぼすことになるのか、そのときは予想だにしませんでした。

今から思えばこれが私と公共哲学との出会いだったのでしょう。自分つまり「と社会を意味するとをいかにつなげるか。それまで私の中に「私」と「公」をつなげるなどと言う発想はありませんでした。ドイツ出身の女性現代思想家ハンナ・アーレントが、活動(アクション)こそがその意識をもたらすと論じていますが、私にとって台湾で政治の集会に参加したり、若者たちと話すことがその活動になっていたようです。

意識はしていませんでしたが、なんとなく社会で起こることに関心を持つようにはなっていたように思います。そうこうしているうちに楽しい1年が過ぎ去り、温かい南国から寒風吹きすさぶ北京へと赴任することになったのです。

北京に移ってからは、あまりいいことはありませんでした。仕事はきついし、上司は厳しいし、よく息抜きに近くの天安門広場に出かけたものです。昼休みにでも行ける距離でした。近くにマクドナルドがあったので、テイクアウトして、天安門の見える場所でバーガーを頬張っていたことを覚えています。

そんなある日のこと、ふと思い出したのです。「ああここでたしか大きな事件があったっけ」と。学生時代にテレビで見たあの天安門事件です。なぜこんなボケボケなことをいっているかというと、学生時代の私が天安門事件にまったく関心がなかったのと、そのとき私の目の前にそびえたっていた天安門があまりにも静かだったからです。まるで何事もなかったかのように、ただ静かにその場に存在していたのです。

そのとき私は稲妻に打たれたかのような錯覚を覚えました。疲れていたからかもしれません。学生時代にテレビで見た天安門事件と台湾で見た民主化のうねりそしてこの目の前の不気味なまでに静かな天安門の映像が次々と網膜の中で切り替わっていったのです。そして点と点が線になっていきました。どれくらいの時間がたったでしょうか。すべての点がつながったときには、私はもう会社を辞める決心をしていました

おそらくこの決心は、急になされたわけではなかったのでしょう。あの日、台湾で民衆に取り囲まれ、その後北京で悶々として働きながら、私の決心は徐々に固められていたのだと思います。それが天安門の前で、完全に形になっただけだと。

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