失われたユーザー目線
考えてみれば一瞬「便利になったな」と思った「東横線渋谷駅」の構造もそれの最たるもので、ホームの幅が狭い上に乗り換え・乗降のために向かう階段・エスカレーターも人数に対応できないほど狭いのでいつも人がホームに滞留してちょっと殺伐とした雰囲気になりがちなのだ。
おそらくはホームの幅はあれ以上広くできない事情(たとえばその向こうに地下共同溝があるとか)があってあの幅は「正しく」算出されたものなのだろう。
でも不親切だよね。 「急いでいるかもしれないけど狭くて通れないから辛抱してね」という目線がアリアリでユーザー(乗降客)のことがないがしろにされている気がするのだ。
加えて「お急ぎのところ誠に申し訳ありません」と判で押したように謝罪するのもこちらの気持ちが逆なでされているようで、公共交通機関とのあり方として如何なものか、と乗るたびに思う。
これは邪推かもしれないけれど、あれはコンピュータのデザインソフトの中だけで考えられた構造なんじゃないですかね? そういや5層構造になっている東急渋谷駅の構造図も怖ろしくわかりにくい。 あれもソフト上で作られた「机上の空論」、つまり「正しい不親切」なんじゃないかと思っているのは僕だけだろうか。
さらに通路。 LEDの灯りに照らされた大きなローマ字の表示しかないグレーの無機質と言ってもいい地下通路を改札や他の路線のホームに向かって歩くたびに、設計時これが完成したときの人の動線を想像し、あるいは自分がその地下ダンジョン(もはやこう言ってさしつかえあるまい)のどこにいるかが認識できるような表示をするための、思いやりのイマジネーションはなかったんだろうか、と訝しむのである。
つまり。
以前にも「第6回 アタリ/ハズレの取扱説明書」で書いたように、このところの僕は工学系技術者の方々に対して、いささか信頼感を失うケースが多くなっているのであった。