和食はもはや絶滅種。京都の老舗料亭「菊乃井」が挑む日本料理革命

 

TX161222_2200_PR003

七つ星料亭「菊乃井」、その知られざる裏側

赤坂店の朝9時。料理人たちがゾロゾロと玄関前へ出てきた。すると1台のトラックが到着。神戸から8時間かけてやってきた。

運ばれてきたのはまだ活きている伊勢海老。菊乃井では京都で使う物と同じ関西の魚を、毎日、取り寄せている。鯛の中でも特上の明石の鯛も。運んでいる時に暴れると味が落ちるため、箱には仕切りが付いている。

玄関先でいきなり締め始めた。締めた鯛は大急ぎで厨房へ。トラックから出して店の水槽に入れるまでに、暴れて身が傷むからだという。玄関から厨房までは1分程度そのわずかな距離でも味を落とさないようにするのが菊乃井のやり方なのだ。

仕入れの後は下準備。料理はすべてお客が来てからで、ここでは下ごしらえだけ。お客に出す時間からの逆算で作業を進めていく。

夕方4時25分。料理人たちが、店のカウンターの前に集まってきた。心なしか空気が張り詰めたように。挨拶をするのは菊乃井3代目主、村田吉弘だ。

ただの料理屋の主ではない。安倍総理の外遊にたびたび同行し各国首脳とのレセプションなどでは総料理長に日本を代表する料理人だ。

この日は翌月のメニューを説明。旬の食材にこだわる菊乃井では月ごとにメニューを変えている。10品以上の料理は全てまず村田が作り、ポイントを料理人たちに伝えている。

村田が赤坂の一等地に店をオープンさせたのは2004年。その際にこだわったのが、普通の人にも手の届く料金だった。

「普通の人が普通に働いても食事に来られないような料理屋は、特定の人のための施設。若い方などいろいろな人に来ていただき喜んでいただきたい日本料理に親しんでいただきたい」(村田)

bnr_720-140_161104

料理は科学~七つ星の料亭が生れるまで

村田は3代目を継ぐ長男として生まれ、特別な教育を受けて育った。小さな頃から最高の味に慣れ親しむ日々。修業期間は3年だけ。その後、親から資金を借りいきなり自分の店を開店。「とにかくやってみろ」という帝王学だったが、「来るだろうと思ったら誰も来ない。天ぷらを揚げることも格好だけで、分からないまま焼いたり揚げたりしていた。ロクなものはできません」(村田)。

ここで村田は一念発起。閑古鳥がなく店でありとあらゆる料理本を読み漁り、あることに気づく。日本料理の本の説明は、「一口大に切って、うす塩を振って、さっと湯がく」といった曖昧な表現ばかり。一方、フランス料理などの本には、食材の量や、調理の時間など、すべての工程が具体的に書かれていた。

「フランス料理の料理人に聞くと、ソースの作り方も論理的に説明できる。カンや経験よりも、何度でどうすればどういう反応が起きると、科学の分野に近いことを言う。意識の改革が必要だと思いました」(村田)

そこから村田は様々な料理の研究に没頭する。それは調理の方法にとどまらず、味や香りがどうやって生まれるかを解き明かす科学の分野にまで及んだ

料理はすなわち科学です。料理を科学的な目で見ないと進化はないですよ」(村田)

科学の導入で村田の味は磨かれ、店は繁盛店になっていく。菊乃井は2010年、ミシュランで合計七つ星に。村田は日本を代表する料理人となった。

print
いま読まれてます

  • 和食はもはや絶滅種。京都の老舗料亭「菊乃井」が挑む日本料理革命
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け