証人喚問でも食い違う主張。森友学園「茶番劇」の発端は何なのか?

 

実は、この時期、森友学園の籠池泰典理事長は大阪府からの吉報を待っていた

財務基盤が弱く幼稚園しかない同学園には小学校設置に規制の壁が立ちはだかっていたため、2011年夏、大阪府に規制緩和を申し入れていた。

府は小中学校を設置した実績のある学校法人にしか借入金による小学校新設を認めていなかったのだ。

翌2012年4月、大阪府はこの審査基準を緩和した。森友学園は念願の小学校新設へ向け最初の障壁をクリアしたのだ。

松井一郎府知事は「外から私学にどんどん入ってきてもらうためにハードルの高い部分を見直した」と話すが、そのころ他に具体的な要望事例はなく、森友学園を念頭に置いた規制緩和であったことは間違いない。

森友学園の運営する塚本幼稚園が、戦前の「教育勅語」を園児に暗誦させる愛国教育を進めていることは当時からよく知られていた。

とくに自民党大阪府議団から右派思想の持ち主たちが飛び出し、人気絶頂の橋下徹氏をトップに据えて誕生した「大阪維新の会にはウケがよかった

森友学園が小学校建設への決意を固め、審査基準の緩和を大阪府に要望した背後で、維新の府議や国会議員秘書らが蠢いていたことは容易に想像される。

むろん、維新の親分格である松井知事そのものが、まさに安倍氏の言う「教育現場に大きな風穴をあける」ための実績づくりとして、森友学園の愛国教育に目をつけていたことは確かだろう。

実際、大阪府知事の行動記録を見ると、2014年10月に森友学園が小学校設置認可を申請し、府私立学校審議会で「認可適当」との答申が出る2015年1月までの間、担当の私学大学課職員が頻繁に知事室に出入りし松井知事と打ち合わせを重ねていたことがわかる。

たとえば森友学園が設置認可を申請した2014年10月だけでも、松井知事が私学大学課の課長らと打ち合わせをしたのは、10月7、8、20、21、22、24日の計6回にもおよぶ。

私学審議会で委員たちから設置認可に否定的な意見が多かったにもかかわらず、実務を担う私学課が無理な理屈を通して「認可適当」に誘導した背景に、松井知事の意思があったと考えるのは自然である。

条件が付きながらも「認可適当」との府の判断を受けて、国有地払下げの是非などを審議する2015年2月10日の国有財産近畿地方審議会でも、数々の疑問点がありながら、「10年間の定期借地、その間に購入」を了承するという、学園側への配慮の行き届いた判断を下したのである。

府の「認可適当」について、松井知事は、財務省からの要請を受けて出したものだという認識を示している。近畿財務局の役人が何度か大阪府庁を訪れて「認可の見込み」を知らせるよう求めていたらしい。

できるだけ国に責任を転嫁したいという松井知事の心理もうかがえるが、なぜか財務省が異様に焦っていたのも事実である。

財務省の役人が地方の役所に足を運ぶのは滅多にないという。そこまでして、森友案件にこだわる財務省を突き動かしたものは何か。

常識的には、安倍首相あるいは麻生太郎財務相に喜ばれることをして評価されたいという官僚のサガが働いていたと考えるべきだろう。

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