アメリカ留学中にES細胞に出会う。35歳で自信たっぷりでアメリカから帰ってきた。研究者としてちょっと才能があるかもしれないと思っていた。しかし自ら「アメリカ後の憂鬱」と名付けた欝病にかかり、研究者をやめる寸前までいく。しかし、二つの出来事に出会ったことで、欝病を克服することができた。
一つ目は1998年にアメリカで人間の受精卵からES細胞が作られて、再生医療の新しい切り札として、ES細胞が一気に期待されるようになったこと。二つ目は37歳の時、奈良先端科学技術大学の研究室のリーダーとして採用されたこと。研究室のビジョンとしてES細胞の持つ課題の克服を目指す。2006年にネズミのiPS細胞の樹立に成功、2007年には人間のiPS細胞の樹立に成功、その後ノーベル賞を受賞。iPS細胞は最初は皮膚からつくったが、いまは血液からつくる。
iPS細胞の技術を使った大きな目標は、再生医療の実用化と薬の開発である。京都大学のiPS細胞研究所で、400名以上の研究者が日夜研鑽している。じつはiPS細胞について、こういう話を聞くまではさっぱり分からなかった。山中はアメリカ行きも、奈良先端科学技術大学行きも、京大行きも、すべて自分の決断、環境を自ら変えることで、さらに前進。日本の科学者らしからぬ行動力だ。
日下公人は、「これからの生命や細胞に関する研究は日本人だらけになる」と言い切っている。キリスト教文化圏の人の科学には、その分野で大きな穴があいている。山中教授グループの研究は、欧米人の常識ではそもそも思いつかない。キリスト教の潜在意識がブレーキをかけるからだ。初めて聞いたことだが、これには納得した。
編集長 柴田忠男
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