手術が下手、鬱の過去も。ノーベル賞の山中教授、iPS細胞発見物語

 

 

日本発のiPS細胞が負ける?~山中の秘策と執念

2月19日、京都マラソンのランナーの中に山中の姿があった。この日は海外出張から帰国した翌日。分刻みのスケジュールをぬってマラソンに出るのには理由があった。

iPS細胞研究所の寄付活動の一環としてマラソンを他の教授たちとも一緒に走っています」(山中)

マラソンでの研究資金集めは、海外では当たり前だという。

「海外はすごいですよ。ロンドンマラソンは走者の半分以上がチャリティーランナーだと思います。何十億というお金が集まるみたいです」(山中)

山中は、欧米に比べて寄付文化がほとんどない日本に危機感を抱いている。サンフランシスコで山中が案内してくれたのは、最近できた巨大な病院。フェイスブックの創業者、マーク・ザッカーバーグの寄付でできた、ザッカーバーグ病院だった。そんな寄付文化は研究環境にも影響するという。

「研究を支援する人が必要なのですが、日本では有期雇用で数年しか一緒に働けない。アメリカでは10年、20年と、寄付を中心としたお金で長期雇用ができる」(山中)

日本生まれのiPS細胞の研究が海外に追い越されるのではないか。山中はそんな危機感と共に走り続けている。

一方で今年3月、理化学研究所でまた新たなiPS細胞の研究成果が発表された。行われたのは目の細胞の移植手術。そこで注目されたのが、世界で初めて他人のiPS細胞を使った手術だということだ。

移植手術の際、患者本人のiPS細胞であれば拒絶は起きづらいが、作製に時間がかかる。今回使った特殊な免疫型を持つ人のiPSは、多くの人に適合するのだという。

理化学研究所の髙橋政代プロジェクトリーダーは「1種類の細胞でたくさんの人に治療できます。期間が短いので、細胞を作るコストもぐんと安くなる」と、語る。

そんな便利なiPS細胞を作り出したのは山中。案内してくれたのは、研究所の2階にある閉ざされた扉だった。最高レベルのクリーンルームで、人間に移植するためのiPS細胞の量産を行い、素早く細胞を提供できるようにストックしているのだ。

いかに安くたくさんの方に届けるかが必須。iPS細胞のストックを何千人、何万人の人に使うという計画です」(山中)

1人でも多くの人を救いたい。山中の闘いは続いている。iPS細胞の将来について、山中はあらためてスタジオでこう語っている。

健康寿命と平均寿命が今は10年くらい違います。その10年は寝たきりだったり、介護が必要で好きなところに行けなかったりする。僕たちが目指しているのは、それをiPS細胞による再生医療と創薬によって縮めていくことです。ただ医学の基礎研究が一般的な治療になるまでにはだいたい20~30年かかります。この技術を本当の意味で医学に持っていくことです。ノーベル医学・生理学賞なんですね。自分たちは生理学賞として受賞したという印象があります。そこで終わりたくない。医学にしたいという思いが非常に強いです」

print
いま読まれてます

  • 手術が下手、鬱の過去も。ノーベル賞の山中教授、iPS細胞発見物語
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け