15000年分を5分間で。恥をかかずに済む「ざっくり日本史」振り返り

 

◎弥生時代(~3世紀中頃)・古墳時代(~7世紀末頃)

弥生時代は、稲作が生活の中心になっていった時代。米を作るようになって、食料の貯蔵がしやすくなったため、「持つ者」と「持たざる者」が発生。また、定住が基本となりました。

そうすると集落ができ、縄張り争いが分かりやすい形で発生することに。日本列島の中にいくつものクニが出来ました

クニは互いに争ったり、後ろ盾を求めてお隣の大国・中国に貢ぎ物を送ったり。この辺の時代のことは、中国の歴史書などからうかがい知ることが出来ます。

『漢書』地理志には、当時の日本は百余国に分かれていて、その中の何国かは漢の楽浪郡に貢ぎ物を送っていたことが記されています。また57年には奴国王が後漢から金印を授かったと『後漢書』東夷伝に記載されています。

そこから少し時代が下って、国内の乱れを卑弥呼が治めたとか、魏に貢ぎ物を送ったとかという話が、『魏志』倭人伝に記されています。

日本の歴史書はもう少し先、残っているものでは日本書紀の登場まで待ちます。

なんだかんだの後、古墳を作るような豪族が畿内に多く現れた時代が古墳時代。ちょうど266年から413年の間、中国の歴史書に日本の話が出てこなくて、その間のことがちょっとあやふやになっています。

卑弥呼が亡くなった少し後から、倭の五王がどうのこうのって辺りまで。邪馬台国はどこにあった、大和王権はどこから現れたと、ずっと論争になっているのはそのせいです。

日本書紀にある程度書かれているのですが、日本書紀が完成したのは720年で、しかも神話的な話から始まっているし、他に記録がないから裏が取れない

『晋書』や『宋書』に倭の五王のことが出てきて、日本書紀などの記述とすりあわせて情報が得られるようになりますが、分からないことが多い時代です。

どうも畿内に大和王権大和朝廷ができたっぽい

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