今だから話せる。元陸自幹部が知る「地下鉄サリン事件」の真相

 

自衛隊作戦幕僚としてのハラ決め

上九一色村のオウムサティアンへの強制捜査の警察の作戦会議」でのことです。通常自衛隊ならば最悪の事態に備え、綿密に分析し、対策をしたうえで、部隊に行動を命じます。「家族もいるかわいい部下を殺さない」ためです。

ところが、会議では何らの情報も出しません。さすがに会議終了後警察責任者に聞きました。

「どれだけの被害を考えているの?」
「最初に封鎖に入る機動隊員の50人から150人は死ぬかもしれない
「その時に、ヘリコプターがサリン散布に飛び立ったら?」
「それは、その時に泥縄的に対処します」

部下の死を平然と口に出し、ヘリコプターによるサリン散布の見積もりに対しても「泥縄的に対処」、つまり成り行き任せ。あくまで強制捜査は警察マターであり、自衛隊は要請がない限り動けない。しかし、そういう事態で動かなければ100万の国民が死んでいく…。

「我々の後ろには誰もいない」
「国民の命を守る」

そこで、飛び立ったヘリをただちに落とせるように北富士演習場に攻撃ヘリを準備し、またサリンテロ対処に特殊武器防護隊や中央病院の医師達に即応体制をとらせました。民間ヘリを落としたことで国民の非難が上がれば、運用責任者として現地で腹を切る」。責任を一身に背負って墓に埋める覚悟です。

その為に、警察に同行支援するために家を出るときに、妻に、「3日間連絡無ければ俺の事は諦めて、あとの子どもの面倒は頼む」と覚悟を言い渡しました。前夜は、阪神淡路震災対処から深夜帰宅していたため地下鉄の最終に間に合わず自転車を使っていました。その自転車で青梅街道を霞が関に向かって走っているまさにその真下で、並行して走る丸ノ内線がサリンでやられました。

地下鉄サリン事件です。後で確認すると、同行する強制捜査員7人を狙ったテロ事件でした。結果として、最悪の事態に備えた即応体制ができていたからこそ、地下鉄サリン事件が起こっても、ただちに自衛隊は対処ができたのです。そして、オウムを先駆けとした本格的テロは未然に封じ込めたのです。

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