「イラっときた時には深呼吸して怒りをセーブする」など、感情を抑える方法はいろいろと紹介されています。しかし、「イラっと」のような情動は制御の術がありません。今回の無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』では著者で現役教師の松尾英明さんが、動物的な本能に根差す「情動」について、具体的な事例を交えながら上手な付き合い方を紹介しています。
情動と感情を目的論で見る
大学で学んでいる心理学の話。情動と感情について。
ポジティブ感情は奨励、共感されやすい。「よい」とされるので感情として出しやすい。ネガティブ感情は認めてもらいにくい。急激な制御をされることもある。抑圧され、出しにくい。そうすると、感情に「良い」「悪い」というようなレッテルが貼られる。
しかしながら、感情は情動の結果であるという。感情は、情動に比べ、長く続く。「怒っている」「悲しい」というような感情は一瞬では消えない。ここには思考の入る余地もある。ある程度コントロールができる。
しかし感情の前に情動がある。情動は何か「イライラ」「ムカムカ」あるいは「ドキドキ」「ワクワク」するというものである。これは、短期でありながら自然発生するものである。
かのダーウィンは情動を「非常事態にさらされた生物が、適切に対処し、生存の可能性を増加させるもの」と表現しているという(参考:RIKEN BSI NEWS「情動のメカニズムの探求」)。
つまり、生物が生き抜く必要の上で獲得した本能的なものである。情動は止めようがない。情動の否定は、生命への否定である。つまり、ネガティブ感情を否定すると、不都合が起きる。必要があってネガティブ感情を引き起こすような情動が起きた訳である。身体からのメッセージである。
例を挙げる。「いつもいい子」でいられることを求められたとする。そうすると、いい加減な自分や、感情的な自分は許されない。「怒ってはいけない」「泣いてはいけない」といった感情表出の行動を抑制する。すると、その前段階として「イライラ」「どんより」などの情動を否定することになる。しかし残念ながら、情動は自然発生する。つまり、自己否定を繰り返すことになる。
これは苦しい。それならば、ネガティブな感情を否定するよりも、その根本となる情動がどこからきたのか考える。情動の発生には生命としての目的がある。例えばイライラすることで何を求めているのか、そこを自分自身が「わかってあげる」必要がある。
先日セミナーで学んだアドラー心理学も「目的論」である。目的論で見ると、見え方が変わる。自分の感情も子どもの感情も、目的を見つめてみると、原因論で考える時とは違ったものが見えるかもしれない。
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