例えばマツコ・デラックスさんそっくりの「マツコロイド」を見たときに何か異様な不気味さを感じる…。そんな『不気味の谷』と言われる心理現象について考察するのは、メルマガ『8人ばなし』の著者の山崎勝義さんです。山崎さんは、「谷」と呼ばれるからには、その向こうには別の地平があるはずと思考を深めますが、どうやら「谷」ではなく「崖」と言うのが相応しいのではないかという結論に達します。さて、どういうことなのでしょうか?
『不気味の谷』のこと
「不気味の谷」という言葉を知っているだろうか?ちょっと聞くとロールプレイングゲームのマップにでも出て来そうな響きであるが、実はれっきとした学術用語である。
一応説明しておくと、「人間の外観をリアルに造形しようとした際、そのリアルさがある限度を超えて人間に近づくと忽ち嫌悪感を覚えるようになる」といった心理現象のことである。
テレビなどで、近未来コンセプトのホテルや催事場で妙にリアルな受付のおねえさんロボットが紹介された時などに感じる、あの「きもっ」とか「こわっ」の心持ちである。この例からも分かる通り、「不気味の谷」の考えは現在では専らロボット工学の文脈で語られるものであると言ってもいい。
ここで一つ疑問が生じる。果たして本当にそれは「谷」なのであろうか。もし谷であるなら、その谷を越えた向こう岸に不気味じゃない領域が必ずある筈である。しかしながら現行それほどまでに精緻を極めた人型ロボットは製造されてはいないから、それを証明することはまず不可能である。ここは想像をたくましくしてそれに当たる他はない。
今仮に、遺伝子工学により筋骨格的にも外表皮的にも人間と区別のつかないレベルでつくられた人工身体を、人間のあり方(思考・発話・所作など)を完璧にマスターしたAI制御で動かすとしたらどうだろう。これでもやはり不気味と感じるのではないか。それが人工物と分かった途端、はく製か遺体でも動いているようでとてものこと平然とはしていられない筈である。
但しそれは「人工物と分かれば」の話である。言われるまでロボットだと分からない、あるいは言われてもロボットだとは信じられないレベルの完成度であったなら、たぶんではあるが谷の如き不気味さは感じないであろう。
しかしこのレベルまで行くと、最早それは出自の異なる人間とは言えないか。第一これなら今既に我々の周囲に存在していたって不思議ではない。ロボットと気付かないのだから。但し、こうなると「美」と「心理」の問題と言うよりむしろ「認識」と「心理」の問題と言った方がいいような気もする。
結局のところ、それが造形物(造形美の問題)である限りにおいては、言い換えれば、人間に似て非なるものである限りは「不気味の谷」は谷ではなく、崖と言った方がいいものなのかもしれない。つまり、どこまでいっても不気味さはなくならないということである。
もしかしたら、この似て非なるものを嫌悪する心理現象の中に人間の生命倫理の根源のようなものがあるのかもしれない。さらにそういった好悪の感情が、人を模した造形物に対してことさら露骨に顕在化したものが「不気味かどうか」と言った所謂美醜の感覚であるとしたなら、人間は人間の定義に関して(少なくとも現段階においては)実に狭量であると言わざるを得ないのである。
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