【第14回】「俺、この仕事向いてないかも」って思ったらどうしてる? 春日武彦✕穂村弘対談

 

「地に足が着いている」は呪いか?

穂村 先生は、これまでに働いてなかった時代とかはあった?

春日 病院を辞めて何にもしてない時期もあったよ。半分引きこもり状態で鬱屈していた。暇ではあったけど、全然楽しくなかったな。

穂村 そういう人もいるよね。僕の友だちも、会社を辞めた後、夕方に駅から勤め人の群れが出てくるのを見てめちゃめちゃ焦燥感に駆られたって言ってた。あと会社の同期の人が、一度辞めてまた戻ってきたことがあって、その時に「すごく安心した」って言ってたのをよく覚えているよ。その心理は何なんだろうね? 

駅の改札から出てくるスーツ姿の人を見て、「この人たちは会社から帰ってきたんだ」「彼らはみんな定期券を持っているんだ」みたいなことに焦る感覚って。かつては自分もそうで、でも今は喪失したものを、サラリーマンの彼らが当たり前に持ち続けていることに不安を覚えるのかな?

春日 まあ、気持ちは分からんでもないけどね。寄る辺なさと、一種のやましさを感じたりさ。俺もそのタイプだろうから。

穂村 でも、先生はこれまでに数々の修羅場をくぐってきたわけでしょ? もう一生分働いた、とか思わないの?

春日 思わない! 全然思わないよ。働いてなかった頃、午前中からホラー映画のDVDなんか観てるとさ、もうがっくりくるわけ。

穂村 何やってんだ俺、みたいな?

春日 そう。しかもその時間、女房は看護師として一所懸命働いてるわけでさ。恥ずかしいよ。

穂村 そういうものか。なんか漠然と、人間は一生のうちにだいたい20年分くらい働けばノルマ達成になるものだと思ってたよ(笑)。会社でも家事でも介護でも。先生は医者として、質・量ともに絶対その倍以上働いてるよね。しかも、物書きもしてるから下手したら、もう80年分くらい働いてるんじゃないの。

春日 だけど俺、物書き仕事の方は、いまだにやましいものを心に抱えているからね。「そんなもん書いて、お前は遊んでるだけじゃん」って言われたら、言い返せないもの。ちゃんと依頼された仕事で、印税や原稿料が発生していてもね。なんか、地に足が着いていないという感じに囚われてしまって……自己嫌悪だよ、まったく(苦笑)。

穂村 昔から、そこに拘泥するよね。でもさ、僕はむしろ「地に足が着いている」ことこそが、苦痛の根源な気がするけどな。その象徴の1つとして「家」みたいなものがあって、自分を縛るそうした存在を、すべて敵だと思っていた。

先生が理想としている状態って、例えば精神科医としての仕事をきちんとこなした上で、物書きとしてもいいものを書いている、みたいなことでしょ。それで言えば、僕は「無理だ!」って諦めちゃったけど、物書きをしながらちゃんと会社の仕事をしている人もいっぱいいるんだよね。例えば、詩人の吉岡実(1919~90年)なんかは、会社では1行も詩を書いたことがない、と言っていた。

春日 つまり、仕事は仕事として、きちんとまっとうしているわけね。その上で、創作の手も抜かない、みたいな。たぶん、そういう「大人」な振る舞いに憧れるのかな、俺は。

穂村 それが立派だということは、僕も重々承知しているんだよ。でも……自分がやろうとしたら壊れてたと思う。会社員時代、いつも言い聞かせていたことがあるのね。夜中まで残業しようが、定時で上がろうが、この会社を辞めたら、1か月もしないうちに社員のみんなは僕のことなんか忘れてしまうだろう、って。だから「頑張らないぞ」と思って、毎日定時に帰ってたの。

本当は、働かない代わりに給料を半分にしてほしかったけど、それは許されないんだよね。時々、「本当に働きませんね」と面と向かって言ってくる人もいたよ。でも、それは本当のことだから、相手を悪く思ったりもしなかった。

で、案の定、辞めた後は僕なんて最初からいなかったようなもの。会社の人たちにとっては、そんなことよりも、ずっと大事なことがあるんだよ。権力闘争で急に社長が首切られたりとか、下っ端には想像もつかないような原理で会社は動いていて、僕なんかには理解不能な世界。

春日 そもそも、なんで会社に入ろうと思ったの? そんなに不向きなのに。

穂村 自営業が多い家系とか、教員になる家系とか、医者ばかりの家系とか、家によって傾向ってあるじゃない。先生もお父さんが医者でしょ。うちは、親族にサラリーマンしかいなかったから、自由業なんて選択肢は思いつかなくて、大学出たら会社に入って……みたいなことに何の疑問も抱かなかったんだよ。

春日 まあ、サラリーマンが当たり前の家庭で育ったからといって、それが「=適性がある」というわけではないからねぇ。医者とか、他の仕事にしてもそうだけど。

穂村 サラリーマンは「一部上場」みたいな単語ですっごいアドレナリンが出るみたいで、僕にはまったく意味不明だから不安だった。ものすごい隔たりを感じる。

例えば、僕らのまわりは全員しりあがり寿や高野文子を知っているのに、そこから一歩外に出て、「経済」を中心とした「一般社会」に行くと、急に「え、誰それ? 知らない」とみんなに言われてしまう、この不思議。目の前ではっきりと線が引かれるような感じがして、とまどってしまうんだよ。

マジョリティ側から見ると、僕らなんて存在しないようなものなんだろうね。せいぜい「短歌ですか。いいねえ。大人になっても好きなことやってて」くらいにでも言われればまだいいほう。たぶん、名前を知らない虫みたいな感じだと思う。

春日 決定的に価値観が違うと、多数派のほうが正義になっちゃうからね。まさに暴力だよ。まあ医者であると、1人ひとりが零細企業の社長みたいなところがあるから、仕事はキツくてもメンタル的には穂村さんよりも楽だったと思う。変人と揶揄されても気にしないし。

方向性は微妙に違えど、俺としては仲間がいるようで嬉しいけどさ。あ、だからこんな対談を企画されているのか(笑)。数々の屈託を抱えながら、俺たちはどうやって来たる「死」を幸せに迎えられるのか? 

というわけで、次回はついに最終回なんだけど、こうなると俺らなりの「幸福」の在り方を模索してみる必要がありそうだね。

(第15回に続く)

春日武彦✕穂村弘対談
第1回:俺たちはどう死ぬのか?春日武彦✕穂村弘が語る「ニンゲンの晩年」論
第2回:「あ、俺死ぬかも」と思った経験ある? 春日武彦✕穂村弘対談
第3回:こんな死に方はいやだ…有名人の意外な「最期」春日武彦✕穂村弘対談
第4回:死ぬくらいなら逃げてもいい。春日武彦✕穂村弘が語る「逃げ癖」への疑念
第5回:俺たちは死を前に後悔するか?春日武彦✕穂村弘「お試しがあればいいのに」
第6回:世界の偉人たちが残した「人生最後の名セリフ」春日武彦✕穂村弘対談
第7回:老害かよ。成功者が「晩節を汚す」心理的カラクリ 春日武彦✕穂村弘対談
第8回:年齢を重ねると好みが変わる? 加齢に伴う「ココロの変化」春日武彦✕穂村弘対談
第9回:俺の人生ってなんだったんだ…偉人たちも悩む「自己嫌悪な半生」 春日武彦✕穂村弘対談
第10回:死後の世界って言うけど、全然違う人間として死ぬんじゃないかな。春日武彦✕穂村弘対談
第11回:なんでいつもこうなるんだ…人はなぜ、負けパターンに縛られるのか?春日武彦✕穂村弘対談
第12回:SNSの追悼コメントで自己アピールする人ってどう思う? 春日武彦✕穂村弘対談
第13回:猫は死期を悟って「最期の挨拶」をするって本当? 春日武彦✕穂村弘対談

【ニコ・ニコルソン関連記事】え、こんなことで? 指導のつもりが「うっかりパワハラ」に注意

春日武彦(かすが・たけひこ)
1951年生。産婦人科医を経て精神科医に。現在も臨床に携わりながら執筆活動を続ける。著書に『幸福論』(講談社現代新書)、『精神科医は腹の底で何を考えているか』(幻冬舎)、『無意味なものと不気味なもの』(文藝春秋)、『鬱屈精神科医、占いにすがる』(太田出版)、『私家版 精神医学事典』(河出書房新社)、『老いへの不安』(中公文庫)、『様子を見ましょう、死が訪れるまで』(幻冬舎)、『猫と偶然』(作品社)など多数。
穂村弘(ほむら・ひろし)
1962年北海道生まれ。歌人。90年、『シンジケート』でデビュー。現代短歌を代表する歌人として、エッセイや評論、絵本など幅広く活躍。『短歌の友人』で第19回伊藤整文学賞、連作「楽しい一日」で第44回短歌研究賞、『鳥肌が』で第33回講談社エッセイ賞、『水中翼船炎上中』で第23回若山牧水賞を受賞。歌集に『ラインマーカーズ』『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』、エッセイに『世界音痴』『現実入門』『絶叫委員会』など多数。
ニコ・ニコルソン
宮城県出身。マンガ家。2008年『上京さん』(ソニー・マガジンズ)でデビュー。『ナガサレール イエタテール』(第16回文化庁メディア芸術祭マンガ部門審査委員会推薦作品)、『でんぐばんぐ』(以上、太田出版)、『わたしのお婆ちゃん』(講談社)、『婆ボケはじめ、犬を飼う』(ぶんか社)、『根本敬ゲルニカ計画』(美術出版社)、『アルキメデスのお風呂』(KADOKAWA)、『マンガ 認知症』 (佐藤眞一との共著・ちくま新書) など多数。

漫画&イラストレーション:ニコ・ニコルソン
構成:辻本力
編集:穂原俊二
print
いま読まれてます

  • 【第14回】「俺、この仕事向いてないかも」って思ったらどうしてる? 春日武彦✕穂村弘対談
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け