なぜ、国民年金を全額「税金」で支払っていた時期があったのか?

Japanese yen money banknotes and coins with calculator on the table, selective focus
 

でも昭和30年代の主な産業だった第一次産業である農家や自営業、そして零細企業などは何の年金も無かったわけです。それに家族構成の変化が著しい時でもありました。昭和20年初期は物価のインフレが凄まじく、そのインフレを抑えるために厳しい財政の引き締めが行われました。アメリカの支援と日本政府の補助金で支えられていたようなものだったから、そういうのに頼るのではなくしっかりと税金を取りなさいよ、政府は支出を削減しなさいよと。財政の支出が厳しく切り詰められたため、インフレから深刻なデフレになってしまいました。財政の引き締めで不況に陥ったわけですね。でもすぐに日本は息を吹き返します。昭和25年に始まった朝鮮戦争により日本製品の需要が爆発的に増えたからです。

共産主義である北朝鮮が突然南下して、朝鮮半島を統一しようと資本主義側の韓国に攻め込んできました。共産勢力が突然攻め込んできたので、日本に駐留してるアメリカ軍が韓国を応援するために出動したわけです。その時にアメリカ軍が必要な物資を日本に注文してたので、日本企業の生産はフル回転ですよ。よってデフレを一気に克服した(朝鮮特需という)。アメリカに製品を売りまくったので、たっぷりとドルを蓄える事ができ、そのドルで沢山のアメリカの製品を買った。多くの民間設備投資をしたわけです。企業に最新の設備を導入していく事で、雇用者も増えていきました。昭和30年初期の高度経済成長に入ったばかりの頃は輸出中心ではなく、企業はアメリカあたりから最新の機械や技術を「輸入」してそれを向上にどんどん導入していきました。輸入中心の民間設備投資だったわけです。輸入で力を溜めたのが昭和30年から昭和36年までの神武景気から岩戸景気と呼ばれた好景気です。

しかし、輸出で外貨を稼がずに輸入ばっかりして買い物ばかりしてると持ってるドルが足りなくなってくるから、輸入中心の好景気は短命に終わる。国際収支の天井と呼ばれる状態になる。しかし、昭和39年に公共事業型の東京オリンピックによる好景気をはさんで、翌年昭和40年にちょっと景気悪くなりますけど、ようやく輸出中心の大型好景気(いざなぎ景気)が到来します。当時の日本の得意産業と言えば重化学工業。この頃から日本と言えば造船、鉄鋼、石油化学という高度経済成長のイメージが定着してきます。

そういえば日本の商品は安い(昭和24年から昭和46年まで1ドル360円という非常に円安で固定されていた)というイメージでしたけど、安いから売れたというわけではないです。やっぱ神武景気や岩戸景気で輸入によりしっかり設備投資して力を蓄えて、品質の良い商品が作れたからイザナギ景気で開花したともいえます。昔の人の凄い努力で日本の発展の基礎を築いた。(公害の問題もすごかったけど)

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