入学式も卒業式もムダ。3月4月すべての儀式が日本人を不幸にする

 

入学式も良く分かりません。共同体に迎えるイニシエーションという意味では、これも小学校では意味があると思いますが、中学の場合は野蛮な先輩後輩カルチャーを押し付けるというバカバカしい悪習を絶つことなく新中1を迎えるということが、既に完全に時代錯誤です。また、大学の場合はそれこそ事務的なオリエンテーションでいいはずです。

特に最低最悪なのは東大の入学式です。ここ数年は、総長などが「自分で考える」ようになどと新入生に説教をするのが恒例になっていますが、そんな偉そうな説教をする前に「自分で考える人物でないと入れない」ように入試を徹底改革すべきです。

脳内単純作業の訓練で入れてしまう入試をやりながら、「自分で考えろ」などと説教するのは笑止千万です。また東大の入学式に着飾って出てくる親というのは、程度の差こそあれ「毒」を持っているわけで、そういう毒にプッシュされないと入れないという風潮を切って捨てるためにも、家族の入場は禁止すべきでしょう。

大学の入学式以上に意味不明なのが、企業の入社式です。最悪なのが、社長のスピーチですが、昨今の定番というのは2種類あります。1つは、「諸君にはわが社を変革してもらいたい」というものです。例えば生産性とか、働き方、多様性、グローバル化、IT化などで、社長が新しい世代に期待するというのは、分からないではありません。

ですが、本当に変革してもらいたいのなら新入社員にいきなり「21世紀の世代代表」として権限を与えるのが筋です。そうではなくて、入社式が終わって配属されると現場は抵抗勢力だらけであり、「社長は立派なことを言っているけど、現実は地をはうようなもの」だから「まず下働きから叩き上げろ」といって、ブラックな勤務を押し付けられるわけです。そう考えると、社長スピーチによくある「諸君に変革の旗手になってもらいたい」などというのがナンセンスだということが分かります。

このスピーチですが、良く考えて翻訳すると「社長の自分は変革したいが、今の会社は抵抗勢力だらけなので、今のところできていない」という意味に受け止めるべきでしょう。さて、2番目の定番はスピーチの中で社長が「色々あったがわが社は大丈夫だ」と述べるというパターンです。これも同じことで、本当に大丈夫なら、わざわざ大丈夫とは言わないわけですから「大丈夫ではない」と受け止めるべきでしょう。

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