ちゃんと出来ないなら解散させるべき
私は数多くのいじめ第三者委員会を見てきた。時には記者レクに入り込んで、次やったら訴えるぞと怒られたこともあるし、加害者や学校と利害関係がズブズブの委員を徹底的に指摘して委員を辞めさせたこともある。
また、被害側の要請に従って適格性の高い委員候補を紹介したり、職能団体から推薦状を発行してもらったこともある。
そうした経験の中で、解散をまずは求めた第三者委員会は3つある。実際に1つは一旦解散し、その直後に話し合いをして再構成してもらった。ここは委員自体が紳士的であったが、市教委と教育長が横暴な態度であった。
もう1つは、解散こそしなかったが、別の第三者委員会が組織され直した。
あと1つは、未だに「第三者委員会は市がやってやっているのだから、時間が長引きけば不利になるのは遺族なんだ」と無視をしているが、こうした横柄な態度に出るのは、地方のまるで封建主義がそのまま残っているような田舎ばかりだ。公務員が特権階級を気取り、上下関係がない独立した組織である教育委員会が、独自の社会を形成し王国のようになっている。自分たちが常に正しく、間違っていても直そうともしない。むしろ誤りを指摘した者が悪者であるとするから、結局何の改善もなされない組織が出来上がってしまうわけだ。
そもそも、旭川いじめ凍死事件の問題は、市教育委員会の対応にも調査の範囲が向くのは当然だろう。この調査範囲も公表されていないが、少なからず学校長の発言や教頭の発言、深刻ないじめの対応よりデートを優先して被害者に勝ち誇ったようにしていたという教員については調査の対象となるはずだ。
その上で考えれば、その監督組織は教育委員会であるわけだから、当然に監督責任が伴うわけだ。そうした組織が設置者となっていいのだろうか。これは法の体系であるから、ここ自体は法改正をしなければ、今後もこうしたジレンマ的問題は伴うが、結局、正しく利害関係が全くない状態で進むことがそもそもの大前提とされる第三者委員会の原型とは異なるのが教育におけるいじめ第三者委員会なのである。
だからこそ、まともに機能するいじめ第三者委員会はごく少数となるわけだ。
現状で旭川の第三者委員会は問題が噴出しているところだろう。もしも、ご遺族らの求めに応じないのであれば、私は、「解散要求」一択であろうと思う。
西川市長は国政に出るようだが、「言い出しっぺ」として、ここはひとつ、市長直属でしっかり予算を持ち、独立した真の第三者委員会を形成してはどうだろうか。
今どきの国民は、御上の言うことがすべて正しいと思うほど馬鹿ではない。言葉よりも行動、経緯よりも結果と実績を重んじる。政治家とはそこに嘘があってはならないと思うのだ。やるならば最後までやってもらいたいものである。
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