日本におけるライフハック
では、日本はどうだろうか。
まず日本においては、ライフハックは「仕事術」の一分野、あるいはその発展系として受け止められた。そのことは、ビジネス雑誌がこぞってこの言葉を取り上げたことからもうかがい知れる。
「仕事術」ということは、仕事における能率性の向上こそが主眼であることを意味する。すでにこの時点で、「ライフハック」のライフが指し示す範囲からは相当に範囲が小さくなっていることがわかるだろう。
一方で、日本では「仕事人間」という言葉が示す通り、人生の大半を仕事に「捧げる」という価値観は昔から存在していた。その点を加味すれば、仕事術とライフハックが結びついたこともそう不自然な現象ではないかもしれない。
ともかくとして、日本でのライフハックのブームは、基本的に「仕事」の局面における生産性や能率を最大化させる手法としてはじまった。GTDの解説書であるデビット・アレンの著作も『ストレスフリーの仕事術─仕事と人生をコントロールする52の法則』が先であり、『はじめてのGTD ストレスフリーの整理術』はその後に出ている。主眼はやはり「仕事」だったわけだ。
日本組織における自助の邪魔さ
とは言え、ここで問題が立ち上がる。日本における「仕事」と「自助」との相性の悪さだ。
アメリカという国の文化において「自助」がどのように受容されているかはさておくとして、日本という国の、特に組織の中での「自助」はあまり歓迎されるものではない。組織の規定から逸脱しようとする人間は足並みを乱すものとして毛嫌いされるし、実際に冷遇されることも少なくない。
また、ライフハック=自助によって、自分ひとりが生産性・効率性を拡大しても、好ましい結果が訪れるとは限らない。
自分の持ち分をさっさと仕上げても一人だけ先に退社できる(あるいは心地よく退社できる)わけではないし、効率的に仕事をすると、むしろ「サボっている」扱いされることすらある。そこまでひどい状況ではなくても、仕事がさっさと片づくと、手が空いていると勘違いされて、次から次へと仕事が回されることは珍しくない。
一作業あたりの効率はあがっても、全体として見たときに、忙しい状態は変わらない、あるいは悪化してしまう、ということすら起こりうる。
フリーランスで言えば、作業の効率性向上は基本的にメリットしか生まないわけだが、企業で働く人(しかもお堅く、古い企業で働く人)では、そこまで単純な図式ができあがるわけではない。
ツール利用の不自由さ
また、ライフハックのツール部門で先陣を切ったEvernoteも、すこぶる便利なツールであることは間違いないが、日本での実際は難しいものがあった。簡単に言えば、使えない人たちがたくさんいたのだ。
新しい端末(スマートフォン)の登場によって、さまざまな場所で同じように仕事ができることが可能となったことは間違いない。それは新しい仕事のスタイルの登場でもある。そうした状況にあって、「クラウドツール」という未開拓の分野の先鞭をつけたことはたしかな功績だろう。
一方で、そうしたツールたちが日本企業の中で自由に使えたかというと、なかなか厳しかったのが実際だろう。あるいは「今でも厳しい」という答えが返ってくるかもしれない。
ここでもまた、その恩恵を最大限にあびたのは、「すでに新しいスタイルで仕事をしている」人たちであり、そうでない人たちにとっては、ライフハックは絵に描いた餅であり、「あこがれ」として額縁の中で飾られるものでしかなかったことがうかがえる。
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