教室における「聞く」を考える
「聞く」には2種類ある。
「音声として耳に入っている」という状態と「理解する」というこ
つまり「一見聞いているようだけど理解していない」があり得る。例えば、すごく真面目に授業を受けているけど、内容がわかってい
逆に「聞いていないようで実は理解している」ということもある。例えば、授業を真面目に受けてないと思っていたら、実はよく理解
どちらをどう扱うか。
教室で歓迎されるのは、Aの方である。
真面目に聞いているように見えるからである。
しかし、実際はBの状態の方が学校の目的には適う。一見扱いづらいようだが、身に付けさせたい学力をつけているとも
学校教育の抱える問題点がここにあるように思っている。即ち、表面的な態度を重視しすぎて、本質的な力をつけられていな
「素直でいい子」「お利口」を称賛しすぎる傾向がみられないか。よくわかっていないけど従うようにしていないか。それは大人への迎合になっていないかということである。
よく考える子の中には、一見あまり素直には見えない子どもが複数
これらを「問題のある子」とみなすと、教育はその意義を失ってい
教える側の問題は、凹んでいる側にひどく注目してしまうことであ
それは、本当に聞いていないのか。本当に反抗的なだけなのか。やる気がないのか。本人なりの理由もあるのではないか。聞けるようになる手立てがあるのではないか。あるいは、一見聞けないままでも大丈夫なのではないか。
私自身、あまり授業をきちんと聞いていなかった、あるいは聞けな
こういう視点で、今回「聞く」を見直してみたいと思った次第であ
出典:メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』
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