当時世界日報の記事の中で印象的だったのは、秘密裡に北朝鮮に潜入させるために訓練された韓国の部隊の人たちが除隊後、不遇な状況に置かれているというルポルタージュであった。
この報道では、彼らが所属していたのは軍隊ではなく「秘密の部隊」だったために、除隊後も元軍人に対する恩給が貰えず、その過去も公表できずに就職が困難になっている方々の実態を赤裸々に伝えた。
記事をもとに私も「秘密の部隊」だった方々の取材をし、その問題を国会で取り上げようとする国会議員にも話を聞いた。
取材をする限り、やはりそこには宗教とは関係なく、純然たる社会問題が存在していた。
秘密の部隊だった方々は社会のアウトローとなり、一部は反社会的グループを形成し、反日デモにも積極的に参加している現実もいろいろと取材できたが、結局私が記事にすることはなかった。
出発点が「世界日報」であることは、日本ではアレルギー反応に近い対応となる。
一般紙が宗教系の「聖教新聞」や「キリスト新聞」の報道を引用しないようなもので、それは報道ではなく、宗教を背景にした布教の役割であるとの認識で収めていたのだと思う。
一方で韓国では少し日常化していて、キリスト教系とされる旧統一教会は、約4分の1がキリスト教信者であるという韓国の宗教文化の中で確実に根付いている。
近代国家となった韓国に浸透したキリスト教が西欧の宗教から「韓国の」宗教にする過程において統一教会は「カルト」と呼ばれながらも、確実に信者を増やしていった。
だから、世界日報も日常になれたのだが、それは時々、日本の通勤電車の中で「聖教新聞」を読む人を見かけるのを日常だと思うのと同様の話なのだろう。
もちろん、多額の寄付とトラブルの問題はそれも社会問題ではあるが、河村たかし名古屋市長が世界日報からインタビューを受けていたことが非難のニュアンスで報道される感覚はおそらく韓国とはギャップがありそうだ。
河村市長は「マスコミの取材に応じることは、当然の務めだと認識している」と話したというが、日本ではこれら宗教メディアの位置づけは実際のところ定まっていない。
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