サウジ皇太子がバイデン大統領に放った一言が示す、世界の米国不信

 

当時、欧州だけでなく米国や日本の一部(である本誌)も含めてこの構想を支持する声が広がったのは当然で、NATOはまさに冷戦時代の遺物そのもので、予め旧ソ連・東欧=WPOを「主敵」と措定し、いざという場合にそれに対して共に戦う「味方」だけを結集して対決姿勢をとるという「敵対的軍事同盟」にほかならなかった。それに対してOSCEは、言わば国連憲章理念の地域版──すなわち「包括的」(地域内に存在する全ての国・地域が敵味方なく加盟し)・「予防的」(普段から円卓に着いて信頼を醸成し合って紛争を話し合いで防ぐよう)な「地域安全保障体制」を目指すもので、この両者には根本的な原理の違いがあった。

一言でいえば、NATOや日米安保などの敵対的軍事同盟は「排除の論理」に立つのに対して、国連やOSCEなどは「普遍的安全保障」「協調的安全保障」「集団安全保障」などとも呼ばれ、「包摂の論理」を体現する。

冷戦が終わった以上、世界はもう一度1945年の国連憲章に立ち返って後者の探究に進むべきであったのに、当時の欧州にその主張を貫き通すだけの力はなく、米国の我儘に屈する格好で、NATOの存続と拡大を認めてしまった。これが冷戦後の平和秩序構築が混迷する根本原因となった。

NATO東方拡大という錯乱

存続したNATOは、それで満足して大人しくしていればまだよかったのに、あろうことか東に向かって組織を拡大し、旧東欧のみならず旧ソ連邦傘下にあった国々までも加盟国として取り込んだ。その陰に、それら諸国の旧ソ連製の兵器体系を廃棄させ米国製の最新のものに置き換えようとする米軍産複合企業の策謀が働いていたことは、本誌No.1162「米軍産複合企業が推進したNATOの東方拡大」で述べた通りである。

それでも当初NATOは「平和のためのパートナーシップ」と称して、ロシアをNATOの枠組みに取り込もうとした。下図は外務省HP上の「NATOについて」を要約・加工したもので、見る通り、欧州の中立国、ロシア、旧ソ連諸国による新独立国家(NIS)などNATO外の20カ国との安保協力関係の構築を目指す同「パートナーシップ」は94年1月から始まった。

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しかし、元々「排除の論理」に立つNATOをロシアを包摂する地域的な協調的安保の枠組みに応用しようとすること自体が無茶である。早くも97年にはウクライナから加盟希望が寄せられて「NATOウクライナ委員会」が設立され協議が始まり、ロシアがそれに反発して同「パートナーシップ」が行き詰まる。そうこうする内、99年にはポーランド、チェコ、ハンガリーの旧東欧3カ国の加盟が実現し、それでも何とかロシアを宥めようと2002年には「NATOロシア理事会」も作られるが、ロシアのNATO不信を解消するには至らなかった。

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