当時は「不法扱い」25歳の医学部生が作った遠隔医療アプリ開発秘話

Doctor calling on smartphone app and stethoscope with the South Korean flag. Telehealth technology in South Korea. 3D rendering
 

「創業した理由ですか?少し長くてもいいですか?令和元年9月に法人を設立しました(当時、チャン代表は漢陽大学医学部を休学した22歳の青年だった)。おじいさんの影響でしょうか。祖父がマラソンの国家代表かつ特殊部隊在籍経験のある常備軍(常に軍に出ていける体制でいる)出身であったことなどもあり、家の雰囲気が社会感と言うかそういう部分がちょっと強かったです。小学生の時は元々、全国民が毎週土曜日にはボランティアをしていると思っていました」

「当時大田(テジョン)に住んでいましたが、高校1年生の時大田駅近くのホームレス医療ボランティアセンターでボランティアをしたんです。医師・薬剤師の先生たちがホームレスの健康を診てあげますが、高校生のボランティアは重宝がられました。

体の不自由な障害者の代わりに薬を届けてあげたり。奉仕するお医者さんも薬剤師さんも患者さんもみんな良かったです。遠隔診療を間接体験した格好ですね。その時決めました。遠隔医療、私は医者になってこれをしなければならない。もちろんその時は創業までしなければならないとは思ってもみませんでしたが。勉強頑張って医者になることにしようと」

高校1年生の正義感は大体一か月が関の山のはずだが、チャン代表は医大に合格した。入学も勿論簡単ではなかった。

「医大だけで6か所を志願しました。面接に行くとほぼ決まった質問があって、『君はなぜ医者になろうとしているのか』。『何科をしたいか』でした。当然、私は遠隔診療をしたいと答えます。そうすると雰囲気が変になるんです。知りませんでした。医師社会は様々な理由で、遠隔診療に反対するという事実を。全部落ちて漢陽(ハンヤン)大学医学部にだけ合格しました。漢陽大学医学部は珍しいことに面接がなかったんですね」

「私の家で私が最初の医大生なんですけど、本来家に医者が一人いればいいんじゃないですか。それが分かりました。勉強中に目が赤くなって何かが入ったようなら、目の写真を撮ってカカオトークで眼科の先輩に送るとすぐ連絡が来ます。サッカーをしていて捻挫したら、すぐに知人が駆けつけてきて措置をしてくれたり…。実際、医師同士は遠隔診療をしているわけです。医者がいなかった家で生まれたら、医者に会うのもこんなに大変でしたが、医学部に入ってみると医者たちに楽に会えます。すべての人がそうだったらいいなと思いました」

「大学1年生の時、アメリカのテラダックという遠隔診療会社に行ってみました。遠隔診療会社に直接行ってみたかったです。米国ハーバード医大、スタンフォード病院では遠隔診療をどのようにするのか気になりました。4年前には日本にも行きました。日本の遠隔診療スタートアップに行って、何が大変なのか尋ねました。その時が日本が再診から遠隔診療を許容した時点でした」

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